紙面で見る富士山
 1872(明治5)年に峡中新聞として産声を上げた山梨日日新聞。明治、大正、昭和、平成と、日本のシンボル・富士山はさまざまな場面で本紙に登場してきました。「存在するだけでニュース」の富士山。人や自然とのかかわりの中で、明るい話題を提供する一方で、事故の現場となったことも少なくありません。紙面からは優しくて厳しい霊峰の姿が浮かび上がります。

9 月
2002/09/14 5合目にバイオトイレを設置 あすから稼働 佐藤小屋隣へ
1993/09/02 富士山有料道路 マイカー規制を恒久化 県方針
1991/09/19 富士山とアルプス 山岳鉄道が姉妹に
1983/09/12 富士北ろくで236種を確認 キノコの宝庫¥リ明
1973/09/09 台風・雨雲を監視 富士山測候所に新庁舎
1964/09/27 富士スバルラインにネオン
1964/09/12 世界一の“気象レーダー” 富士山頂に完成
1932/09/23 山頂と無電で連絡 岳麓の気象を放送
1895/09/03 富士山上の気象観測

8 月
2001/08/19 富士山8合目で診察します 山梨医大病院医師ら、救護所を開設
1996/08/19 環境世界一へ第一歩 富士山作戦’96 山梨、静岡結ぶ輪
1994/08/09 雲の上 相次ぐ迷子 富士山銀座≠ヘぐれる
1990/08/04 富士山噴火に見張り番 科技庁 傾斜・地震計設けマグマの動き把握
1988/08/09 101歳の五十嵐さん 富士山登頂に成功
1987/08/26 富士山グラリ 震度3 5日間で有感3回、震源は直下
1986/08/29 東富士五湖道路が開通 まず富士吉田−山中湖
1976/08/12 5合目に水は出るか 山梨大学地質学教室 富士山で水脈調査
1955/08/26 終幕おろす夏山 どこも空前の人出 富士へ“一生の記念に”組も
1921/08/29 富士山上大暴風雨 百余名の登山者立ち往生

7 月
2001/07/28 富士山の防災で連携強化 周辺10市町村、協議会を設立
2001/07/14 スギチップのバイオトイレ4基、山頂に設置
1997/07/06 富士山頂にやっと歓声 吉田口登山道、規制を解除
1994/07/21 総合管理センター開所 富士山5合目 安全確保や自然保護推進
1970/07/30 富士山はすばらしい ヒラリーさん、早足登山
1963/07/19 資材を宙づり山頂へ ヘリで輸送始める 富士山のレーダー建設
1963/07/02 戦後最高のお山開き 1200人が登る 富士山
1960/07/26 ふえるカミナリ登山 富士でタイプを分析 なぜそう急ぐ?
1959/07/02 まず東京と記念通話 富士・山小屋に電話開通
1939/07/17 繁昌すぎて悲鳴 鉄道にみる山景気

6 月
1988/06/29 富士五湖が人気NO.1 県観光連が全国調査 2位には昇仙峡
1981/06/30 富士山の新下山道が完成 パトロール隊結成 県警と富士吉田市
1963/06/18 山岳救助隊が発足 県警 民間人の身体も補償
1962/06/02 色とりどりに「吉田音頭」も にぎやかな清掃奉告祭 富士山をきれいにする運動
1960/06/06 汚れている富士 米観光誌に失望の記事
1959/06/11 富士のモグラケーブル 実現へ第一歩 県総合開発審議会で承認
1911/06/02 自動車にて富士登山
1907/06/09 『富士山頂二カ所の郵便局 当局者の意見確定』

5 月
1996/05/09 富士山ろくに美化の輪 山梨・静岡 県境を超え連携
1993/05/14 暑い!大月で35度を記録 富士山にも「農鳥」
1989/05/03 下界よそに富士は厳冬、銀世界
1981/05/19 富士山クリーン作戦ゴー 実行委設立 7月25日に美化清掃
1977/05/26 主題歌が決まる 富士山をきれいにする運動
1962/05/01 富士山をきれいにする運動 昔のように霊峰に
1954/05/21 溶岩流の下から土器 史前と有史時代の遺物が重なりあい
1927/05/05 富士八合目へ浴室を設ける 今年から万年雪を利用して

4 月
1995/04/30 GWスタート 身近なイベント満喫 富士山では桜の散策会
1993/04/19 富士山大にぎわい 有料道路 あすからマイカー規制
1990/04/28 フジザクラ4353本確認 富士吉田市有林 樹齢100年の大木も
1989/04/13 暖冬なのに積雪記録更新 富士山頂で3.34メートル
1985/04/05 貴石の壁画きょう除幕 甲府駅改札口 富士山とミレー名画
1974/04/10 「富士山頂は神社のもの」 宗教活動に必要 1、2審判決支持
1964/04/02 残雪の五合目へ150台 富士山有料道路が開通
1911/04/20 外国人の富士登山 山頂は零下8度

3 月
2000/03/07 富士山レーダーに“勲章” 米学会が記念プレート贈る
1994/03/14 富士山世界遺産登録へ署名開始 山梨、静岡の連絡協議会
1981/03/01 ユニーク“ワカサギ船”進水 河口湖 釣りの穴場“回避”
1977/03/25 富士山の雪代暴れる 富士吉田 橋流し堤防決壊
1972/03/22 連休の富士山で大量遭難 登山史上最大の惨事
1969/03/18 中央道・待望のオープン 首都−河口湖を直結 200台が走りぞめ
1964/03/24 愛称は「富士スバルライン」 富士山有料道 16万余通から選ぶ
1951/03/05 押し出す雪しろ 富士山麓に50年来の被害

2 月
1985/02/27 「ミレーの絵」「富士山」 ジャンボ貴石画で歓迎
1969/02/24 ハイウエー・バスお目見え 甲府−東京1時間短縮
1965/02/11 ひどい富士五湖の減水 精進湖は消えそう 
1963/02/03 山中のハリモミ純林 新しく天然記念物に
1962/02/18 鳴沢に豊富な地下水脈 ついに掘り当てる 総合開発へ朗報
1962/02/15 富士講の教典「三十一日の巻」原本 御師の家で発見
1950/02/18 富士山へ縁りの仏像 80年ぶりに頂上へ
1936/02/02 待望の国立公園 きのう正式指定される 「富士箱根」と命名

1 月
2001/01/14 富士山地下活動 昨秋から活発化 「低周波地震」急増
2000/01/19 “富士山の石”を返却 米人女性が反省文同封 富士吉田
1983/01/29 富士山大爆発ありません 政府が異例の“お墨付き”
1979/01/24 河口湖でマリモ発見 生息の南限に 県が天然記念物指定へ
1975/01/01 富士山噴火のナゾ解明へ 山中湖底の「宿場」を調査
1970/01/11 富士山にベレー帽 9年ぶり“離れかさ雲”
1953/01/23 県民の総力で阻まん 富士山頂 私有化反対県民会議
1934/01/05 吹雪と酷寒に遂に新春の富士は絶望 空し

12月
2001/12/18 「富士山の日」制定 河口湖町、2月23日に 議会で可決
1998/12/28 馬返しの鳥居、石畳復元 富士山吉田口登山道
1991/12/27 山梨の富士山売り込め 県がイメージポスター
1987/12/05 富士山有料道路 顕彰碑を除幕 「日本の道百選」祝う
1986/12/15 天神山スキー場完成 鳴沢村20日オープン
1985/12/06 富士山有料道路 冬季国体前に料金所移転
1966/12/23 紺地に富士山「和」の人文字 新しい県籏制定
1962/12/05 富士山ろくに最大の風穴 有料道工事で発見

11月
2000/11/18 富士山を世界遺産候補に 文化財保護審条約特別委
1998/11/19 富士山環境保全へ憲章 山梨、静岡両県が共同制定
1963/11/13 一望に五湖、アルプス 富士山有料道 全線が舗装
1952/11/21 小桜威鎧は国宝 富士は特別名勝に指定
1949/11/03 国体富士登山 無事に終わる
1949/11/02 富士山頂を極める 国体山岳部門 瞬間、感激のがい歌
1935/11/13 答礼使「富士の焼け石」 日米親善に米国の「石」来朝
1933/11/29 雪の富士 ヒュッテを新設し全世界に紹介する

10月
2000/10/28 富士山の絶景ポイントPR 大月市 18山頂に写真付き表示板
1999/10/20 富士山ようやく初冠雪 観測史上2番目の遅さ
1986/10/07 厳かに霊峰の火ともる 富士山山頂 炬火リレーがスタート
1978/10/10 富士吉田と仏・シャモニー 正式に縁組み クーテ市長迎え調印
1978/10/04 性能増し列島にらむ 富士山頂に新レーダー
1974/10/16 幻の噴火口≠発見 富士山・地質調査団
1964/10/22 歓迎にごきげん 外国人選手 富士五湖の秋を楽しむ
1952/10/26 冬山へ早くも賑わい 富士登山も大衆化 スキーなど

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