武田泰淳と富士

武田泰淳と富士
 作家武田泰淳(1912−1976年)は富士山有料道路が開通した1964年、山梨県鳴沢村字富士山の「富士桜高原」の山荘で過ごすようになる。東京との往復生活。富士北麓の林に囲まれ、地元の人が「山」と呼ぶ一帯の静かな山荘を自身は「山小屋」と称していた。

 武田は、ここでの暮らしで「無機物な大きなかたまり」だった富士山の存在感から感じた創作イメージを熟成していく。その作品が、「山小屋」暮らしを始めた5年後の1969年10月から、文芸誌「海」に連載した長編小説「富士」だった。この小説の半分は「山小屋」で書いたという。

 物語は、太平洋戦争末期の富士北麓の精神病院が舞台。虚言症で自分を「宮様」と思いこんでいる男、だまりん坊の哲学少年ら、さまざまな患者と院長をはじめとする病院勤務者たち。閉ざされた空間の中に、実習生として入り込んだ「私」大島。「私」の手記の形で奇妙で、異常な出来事がつづられ、正常と異常という絶対性の危うさ、人間と神という問題を掘り下げていく。

 「富士」を武田は、「僕は富士を中心にしたまんだらの諸相を書いたわけなんだ」「富士は固定観念を現しているんですよ。永遠に変わらないものという意味です」(山梨日日新聞、1971年11月)などと語っている。この作品には「武田の全存在がたたきこまれている」と評論されるほど、富士山の存在感を意識していた。

 「富士」が完成する1971年、武田は病で倒れ、それ以後は百合子夫人が口述筆記し「目まいのする散歩」を「海」に連載し続けた。夫人は山小屋暮らしを始めた1964年から1976年まで日記をつけており、食事の献立、山荘を訪れる動物の描写、友人との会話、地元の人々との交流などをつづっている。「富士日記」として刊行された。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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