1998(平成10)年12月28日付

1998(平成10)年12月28日付
『馬返しの鳥居、石畳復元 富士山吉田口登山道』

 富士吉田市教委が保存整備を進めている富士山吉田口登山道の馬返し周辺の整備が終了し、石鳥居と石畳が復元された。石鳥居は、吉田口登山道のシンボルの一つで、市教委は今後、同登山道の復活を目指し整備を進めていく。

 整備を進めていた馬返し周辺は標高約1、400メートル。俗世間と聖域である富士山の結界とされ、馬がこの場所で返されたことから「馬返し」と名付けられた。現在は吉田口登山道のうち、車で行くことができる最終地点となっている。

 復元された石鳥居は高さ約4メートル、最上部にある笠木は長さ約5.6メートル。石畳は幅約3メートル、長さ約13メートルある。石鳥居の復元は、周辺に落下していた部材のうち、使えるものはそのまま使い、足りない部材については、神奈川県内の業者に依頼するなどして、約2カ月かけて完成した。

 市教委によると、石鳥居は1826(文政9)年に、富士講のリーダー的存在だった江戸の5代目大先達、吉田平左衛門が設置したという。これまでの調査で、石鳥居には神奈川県真鶴町でしか採れない小松石が使われていた。市教委は「珍しい石を使っていたことに加え、山にあれだけの大きなものを運んだことは、当時の富士講の強大さを示すもの」とみている。

 馬返し周辺は整備前は、石鳥居の笠木部分などは落下していて、柱の部分しか残っていなかったほか、石畳は崩壊するなど荒れ放題で、「廃道の象徴のような感じ」(市教委)になっていたという。

 吉田口登山道は1964年の県営富士山有料道路(スバルライン)開通以降、5合目から山頂を目指す登山者が増えたことによって衰退した。富士吉田市では今夏、昔の富士講を再現する「富士道あんぎゃ」を企画するなど、同登山道の復活に力を入れている。

 市教委は「現在はハードよりソフト面が先行しているが、今後、ソフトに見合うようなハードの整備を進めていく。将来的には登山道全体を一つの公園として整備していきたい」と話している。【当時の紙面から】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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