富士山スタイル

富士山スタイル
 夏山シーズンの富士山では近年、カラフルなウエアに身を包んだ登山者が多く見られる。しかし、江戸期には上下白装束に行衣を着た富士講信者が登山道に列を連ねた。登山者は絶えないが、登山ファッションは時代とともに変化し続けている。その移り変わりを見る。

【江戸期】「宝冠」でけが防止 先達が登山者守る
 江戸期の登山者の服装は行衣。わらじにすげがさ、金剛杖を装備し、風雨はござ、寒さは綿入れでしのいだ。下山時はわらじがすり減ってしまうため、二重にして履いていた。行衣が現在の富士講信者も引き継いでいる。
 富士講信者は、安全登山にも注意を払っていた。指導者である「先達」が頭に巻く「宝冠」は長さ約3メートル、幅約30センチの白い布。宗教的な意味合いだけでなく、お中道巡りでは命綱にしたり、金剛杖を束ねて岩と岩の間を渡るための橋代わりにしたりして活用した。気象の知識にもたけ、悪天候が予想される際には登山断念を決断、無理な登頂は避けた。装備やサポートが十分ではない時代に、先達が安全登山のために果たした役割は大きい。

【明治、大正期】白装束から着物へ 登山者に女性の姿
 1872(明治5)年に富士山の女人禁制が解かれて以降、登山道でも女性の姿が見られるようになった。1925(大正14)年の写真には着物姿に麦わら防帽子、わらじを履いて登山する女性が写る。07(明治40)年にはボタンや襟が付いている上着にズボンという洋装の登山者もいた。

【昭和前期】洋装、カメラも持参 富士登山が観光に
 終戦後の50年代には登山ルックも大きく進化。足元はわらじからスニーカーや登山靴に取って代わった。防寒着にはセーターやロングコート、雨具にはかっぱが普及し、頭には防止をかぶって登った。荷物はリュックサックに入れ、現在の装備の原型のような服装だ。カメラを持っている登山者もいて、この時期には富士登山が観光として意識されていたといえる。

【昭和後期】スバルライン開通 活況「富士山銀座」
 1964(昭和39)年に富士山有料道路(富士スバルライン)が開通し、70年代は富士登山ブームが訪れていた。50年代と比較して服装での大きな変化は見られないが、5合目までマイカーやバスで行き、5合目から山頂への登山が固定化。にぎわいの様子は「富士山銀座」と呼ばれ、登山道は大混雑した。

【平成初期】「おしゃれに登山」装備品カラフルに
 1990年代にはナイロンなど化学繊維製の装備が広まった。綿やウール製品から変わり、丈夫でカラフルになった。足元は登山靴を履くことが主流になった。2000年代後半からは女性による登山ブーム。登山用のスカート、鮮やかな色彩の登山靴、ストックなど装備が充実した上、おしゃれを楽しむように変わった。

【現在】ヘルメットが人気 軽量、デザイン向上
 安全装備の人気が高い。山梨、静岡両県などが定めたガイドラインでヘルメット、ゴーグル、防塵マスクの持参が推奨され、登山者の安全意識が向上。
 ヘルメットは250〜300グラムと軽く、赤、青、オレンジなどを基調としたデザイン性の高いものが並ぶ。中には折り畳んでザックの中に入れられるタイプもある。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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