1969(昭和44年)3月18日付

1969(昭和44年)3月18日付
『中央道・待望のオープン 首都−河口湖を直結 200台が走りぞめ』

 中央道富士吉田線(東京都杉並区−山梨県富士吉田間92.8キロ)のうち調布−相模湖間37.7キロに続いて相模湖−河口湖間47.4キロが完成、3月17日午前9時半、藤野パーキングエリア(神奈川県津久井郡藤野町)で開通式の神事、ハサミ入れの式が行なわれた。

 約200台が通りぞめを兼ねて祝賀パレード、5合目まで雪化粧した富士山に向かって走った。午前11時半からは新装成った富士急ハイランドホール(富士吉田市剣丸尾)で約900人が参加して開通祝賀会を開いた。午後3時には一般の供用開始、河口湖インターチェンジにこの日を待ち兼ねて待機していたマイカー約500台が一斉に乗り入れ、首都圏と山梨の富士山ろくを結ぶ“動脈”は力強く動き出した。

 藤野パーキングエリアでの開通式には、富樫日本道路公団総裁、田辺山梨県知事ら約130人が参加、古式にのっとり神事があり、関係者19人がつぎつぎと玉ぐしをささげた。続いて高速道路中央に設けられたテープにハサミが入れられ、同時に前田都留市長の手で久寿玉が割られ、約1000個の色とりどりの風船が、青空に吸い込まれるように放たれた。

 午前10時25分、通りぞめの祝賀パレードには約200台の乗用車が参加した。終点の河口湖インターチェンジまで55キロのスピードで走ったが、残雪の沿道には中央道の開通を喜ぶ人たちが、日の丸の小旗を振っていた。車の列はすべるように50分で河口湖インターチェンジに着いた。

 開通祝賀会は富士急ハイランドホールで午前11時半から約900人が参加、行なわれた。富樫総裁の「首都圏と山梨県を結ぶ中央道富士吉田線の開通は、山梨県のあすを約束するだろう」という式辞で始まり、建設相代理の告辞、運輸相代理のあいさつ、衆参両院建設委員長の祝辞のあと、高橋道路公団八王子建設局長の工事報告があった。

 中央道の完成に打ち込んできた青木中央建設委員長(参院議員)は「中央道は山間の高速道路として世界に比類のないハイウエーである。きょうの開通式を迎えた喜びは何物にもかえがたい」と昭和30年に国土縦貫道の議員立法を提出していらい幾多の政治的難関を乗り越えてきた経過を報告、こんごの課題として「現代の対面2車線を1日も早く本格的な4車線に広げ、未完の勝沼−韮崎間の路線決定を急ぎ、山梨、長野両県民の用地買収への絶大の協力をお願いしたい」と述べた。

 3都県知事を代表して祝辞に立った田辺知事は「県民待望の中央道の開通を迎えて感無量である。十数年の歳月を費やした関係者、地元の人たちの労苦に心から感謝したい。この中央道を最高度に活用して、雄大な富士北ろくを国際的観光地に生まれ変わらせるとともに、京浜と直結するこの動脈を山梨の経済開発、住民福祉により効率的に結びつける河口湖大橋、東名道への連絡道路づくりに意欲を燃やしていきたい」と決意を述べ、午後1時、閉会した。【当時の紙面から】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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