1911(明治44年)4月20日付

1911(明治44年)4月20日付
『外国人の富士登山 山頂は零下8度』

 オーストリアの陸軍参謀少佐テオドル・エンドフ・フォン・レルヒ氏(57)およびクラッセル氏(27)は、ついに4月16日午後2時半無事富士山頂に到達した。山頂の温度は零下8度で強風のため、浅間神社にも参詣せず直ちに下山し、同7時15分無事太郎坊に引き返してきた。

 両氏は前日の15日午後1時、東京より御殿場に到着、身支度を早々に整え、乗馬3頭と強力の山崎伊三吉ほか1名を雇い、徒歩で御殿場を出発した。朝から小雨が降り続く中、行くこと1里余りで瀧河原に到着、野中至氏の留守宅を訪ね夫人より茶菓の饗応を受けた。その後、同4時に一里松に到着しここで昼食を喫した。同5時半に馬返しに、同6時15分に太郎坊に到達した。ここで乗馬3頭を返し、一夜を明かした。

 明けて16日午前5時20分、一行は晴天の太郎坊を出発し、同6時52分に2合5勺に達したが、気温は日の出とともに著しく昇騰し10度を示した。同7時右側眼下に山中湖を見下ろしつつ出発、同7時45分に3合目の石室に達したが雪崩のために形を失い、柱らしきもの3本が1丁余り下に散らばっているのみだったので、やむなく約3丁ほど下の須山口3合目の小舎に立ち戻り食事をとった。

 この辺り一帯は、小山のような雪塊や屏風を立てたような雪の壁、足下は氷のように雪堅く、急勾配の箇所では杖で穴をあけながら階段を作るがごとく登山は困難を極めた。同8時半に3合5勺に達したが、ここの石室も屋根の半分と北窓などが強風に吹き取られ、また戸の隙間から雪が隈無く吹き込んで、6尺ほど積もっていた。同8時50分4合目に到着も辺りは雪で埋もれ、しかも雪崩のために雪面は凸凹を生じ、スキーは使えず。雪解けの水が流れる音が轟々と響き渡るのみ。

 4合5勺を右に見て同9時40分5合目に到着したが、これより上は頂上に至るまで視界を遮る物なく、石室より上の室もすべて厳重に石で周りを囲んでいるが、その上に雪が積もっているので一面ただ白く、目に入る物は雪のみであった。一行は勇を鼓して強力を先導として一直線に突進し、その途中両氏はスキーを使って巧みに右に左に登っていった。正午に7合目に、午後1時20分8合目に、そしてついに山頂に到達した。その頃、徒歩の強力は両氏に遅れること数丁であった。【当時の紙面から意訳】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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