1964(昭和39年)4月2日付

1964(昭和39年)4月2日付
『残雪の五合目へ150台 富士山有料道路が開通』

 富士山有料道路(富士スバルライン)が1日開通した。河口湖畔と富士山5合目を結ぶ延長30キロの完全舗装道路で、ながめのすばらしさは日本一と折り紙つき。同日から定期バスも運行を始めた。この日の開通式は強風と富士が半分姿をかくす曇り空の下で、午前10時すぎから天野知事、降矢県議長、地元の渡辺富士吉田市長、小林河口湖町長ら約100人が参加し、工事経過報告、神事、知事のあいさつ、地元関係者の祝辞など約1時間にわたって料金徴収所前で挙行された。このあと天野知事がゲートにはられた紅白のテープを切って夢のハイウエーは開通した。

 開通と同時に前日の午後4時半から待っていた一番乗りの鎌倉市の関清司さんに通行第1号の記念の花束が贈られ、関さんの乗用車をトップに約60台の車が5合目をめざした。関さんは、蔵王エコーラインなどこれまで14回も有料道路開通第1号の記録を持っているという。

 2合目から上は濃い霧で展望をじゃまされたが、雪は1メートル近くつもったところもあり、雲の切れ目からはるかに見える湖や、樹海のすばらしさにおしかけた人たちは感激していた。開通式前から定期バスも通り外国人の姿も見えるなど、天候には恵まれなかったが、にぎやかな開通風景だった。

 この有料道路は、県が36年9月着工し、2年半の歳月と工費17億円、延べ19万8500人、セメント1万3500トンをつぎこんで完成させた。幅8メートル(舗装6.5メートル)、標高800メートルから2300メートルまでの富士山の樹海を切り開く工事は大溶岩にぶつかったり、大雪にあったりして困難を重ねたが、予定どおりの開通になった。

 第3ヘアピンカーブでは、遠く清水港や南ア、八ケ岳も見られ、その上の4合目では北アルプスまで見られる。5合目までの所要時間は、乗用車で約35分、東京から楽に日帰りができる。通行料金は片道でバス大型1800円、乗用車大型800円、同小型600円。各界の名士を集めての完工式は、5合目付近の根雪がとけるのをまって5月27日に行われるが、5合目までの時間の短縮によって富士山北ろくの観光地としての価値はさらに上昇する。

 なお、この日有料道路を利用した車は、軽自動車や自転車も含めて150台、料金収入は13万8100円だった。【当時の紙面から】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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