富士山の歌、ジャンルや世代を超えて

富士山の歌、ジャンルや世代を超えて
 富士山の歌といえば、「富士は日本一の山〜」と歌われる文部省唱歌「富士山(ふじの山)」がよく知られているが、富士山そのものを歌った曲は意外にも少ない。ただ歌詞に登場する曲は、演歌から歌謡曲、ロックやヒップホップまで幅広く、歌を通して富士山は多くの人の心に染みこんでいる。

 巌谷小波が作詞した「富士山(ふじの山)」は約100年前に発表された。1番は「あたまを雲の上に出し、四方の山を見おろして、かみなりさまを下に聞く」、2番では「青空高くそびえ立ち、からだに雪の着物着て、霞のすそを遠く曳く」。擬人化して富士を表現している歌詞が、その雄大さ、美しさについて、親しみを持って子どもに伝えている。

 「千の風になって」の訳詞と作曲で知られる新井満さんが作詞した「富士山」。三波春夫さんも歌った、この曲は、富士山を人々の心のよりどころととらえている。希望を胸に旅立つ時、逆境に打ちひしがれ涙する時、故郷を懐かしく思い出す時、これまでの人生を振り返る時。空を仰げば富士山がいつも見守り、励ましてくれていたことを、四季の風景に乗せて聞く人に届ける。

 坂本九さんが歌った「真白き富士の嶺」の作詞者は、1910年当時鎌倉女学校の教師をしていた三角錫子。「七里ヶ浜の哀歌」とも呼ばれるこの歌は、ボートの転覆事故に遭った、逗子開成中学の生徒12人の死を悼んでいる。真っ白い富士山や緑の江ノ島を仰ぎ見ても、今は涙だけがあふれてくる−という内容の歌い出しで、若い命を失った悔しさや、残された者の救いようのない絶望感が、悲しく胸に突き刺さる。

 1900年に全5集が発表された、大和田建樹作詞による鉄道唱歌には、車窓から見える富士山が登場。第1集東海道編で、山頂に雪を抱き、雲をたなびかせた気高い姿が表現されている。

 世代を超えて歌われてきた富士山。住み慣れた街を離れる一抹の寂しさと、新生活への希望を歌ったBEGINの「五線紙の街」では、見慣れた風景の一つとして遠くに見える姿が出てくる。若者を中心に人気を集めるロックバンド・Base Ball Bearの「翳ない2人」や、ヒップホップグループ・ケツメイシの「侍ジャポン」などでも印象的な富士が歌われている。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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