1936(昭和11)年2月2日付

1936(昭和11)年2月2日付
『待望の国立公園 きのう正式指定される 「富士箱根」と命名 懸案遂に結実』

 国立公園はさきに雲仙ほか7国立公園が正式に指定されたが、残りの十和田、富士、大山、吉野熊野の4国立公園は先日の委員会の決定に基づき、2月1日官報をもって後藤内相より正式に指定公布された。これで12国立公園は全部指定されたことになる。本県待望の国立公園は、富士箱根国立公園と称することになった。

 富士箱根国立公園は、別項のように昨日1日、官報内務省告示第32号をもって本指定となり、10年来の県をあげての宿望が達成されるに至った。したがって今後は国立公園委員会の決議によって漸次諸施設の建設が行われる予定で、本県にも国費技師1名が増員される事になっている。県においては指定祝賀会も考慮され、陽春甲府市(第1会場)、岳ろく(第2会場)両会場において静岡、神奈川代表者も招待して盛大な祝賀会を開催する予定で、このほか関係静岡、神奈川両県をも加えた合同協議会の案もある。静岡県においても3県合同の「富士国立公園の夕べ」の催しものを計画中で、迎春とともに富士国立公園本指定祝賀の各種催しが相次いで開催され、「景勝地山梨」の豪華が繰り広げられる予定である。本県分の指定区域は次のとおりである。
△南都留郡 中野、忍野、福地、西桂、船津、小立、勝山、大鹿、鳴沢、長浜、大石、河口、西湖
△西八代郡 上九一色、古関

■指定までの経過

 富士国立公園は本県年来の宿望であったが、本指定に至るまでの経過は次のとおりである。1929(昭和4)年4月11日、富士国立公園山梨県協会が設立され、会長に知事、副会長に内務部長名取氏を推し、評議員に200名を選んで県をあげての運動を開始する。明けて1930(昭和5)年8月内務大臣に国立公園指定方の陳情書を提出し、1931(昭和6)年から1932(昭和7)年にかけては国立公園委員長、各委員、幹事に対して第1次指定の猛運動を起こし、貴衆両院議員を通じても各方面に陳情し、以来今回に至るまで運動を続けてきた。陸軍演習地問題から指定が後回しとなっていたが、昨秋軍部との了解が成立し、1月の委員会本指定に決定、2月1日付官報で告示される。富士国立公園県協会はこれらの運動のため、6100余円を支出した。【当時の紙面から】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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