1986(昭和61)年10月7日付

1986(昭和61)年10月7日付
『厳かに霊峰の火ともる 富士山山頂 炬火リレーがスタート』

 かいじ国体炬火(きょか)リレーのトップを切る「霊峰の火」が6日午前7時、霊峰・ 富士の山頂でともった。

 富士山頂での採火には、県から採火責任者の橋本昌総務部長ら6人、富士吉田市から勝俣章国体室長ら6人、合計12人が立ち会った。

 採火地点は山頂の久須志岳、採火用具がセットされた後、橋本総務部長が集光盤の手前に採火棒を差し出すと炎が勢いよく噴き出した。火は炬火受け皿から、安全灯と予備のカイロに移された。

■採火 間一髪セーフ 霊峰の火 直後に雲、雪も舞う

 富士山頂で行われた「霊峰の火」の採火は、「予想していたより穏やかな天気」(雨宮徳重県国体局次長)だったとはいえ、氷点下3度で肌を刺すような冷たい風が吹く厳しい気象条件で行われた。

 太陽から火を採る自然相手に加え、場所が富士山頂。成功の確率は決して高くない。県は万一に備え予備火を採火したが、8月4日の1回目は悪天で失敗、20日に再挑戦して確保したほどだ。この日の本番も、雨宮次長が予備火のカイロを持参していた。

 5日夜、宿泊した8合目から見た空は、満天の星空。しかし「山の天気は油断ならない」と、採火担当の一行は気が休まらなかった。

 明けて6日。期待と不安の中で眠れない夜を過ごした一行は、眠い目をこすりながら午前4時半に出発した。午前5時37分、9合目で真っ赤な太陽が雲海の中から姿を現し、「これで間違いなく採火もOK」(橋本昌県総務部長)と、やっと安どの声が広がった。

 早朝は快晴だった富士山だが、昼ごろから雲がかかり、午後は「断続的に雪になり、山頂付近では1センチの積雪」(富士山測候所御殿場基地事務所)となった。夕方、7合目以上を真っ白に雪化粧した富士山を見て、「間一髪の差だった」と下山した一行は思わずつぶやいた。

 橋本総務部長は「炬火リレーのトップバッターであり、失敗しては大変と、常に頭にあった。これで山梨の富士山を全国にPRできる」と、ホッとした表情だった。 【当時の紙面から抜粋】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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