1977(昭和52)年3月25日付

1977(昭和52)年3月25日付
富士山の雪代暴れる 富士吉田 橋流し堤防決壊 床下浸水や断水騒ぎ

 24日朝、気温の急上昇と風雨のため富士山の雪が急激に解け、雪代(ゆきしろ)が富士吉田市内の河川に“鉄砲水”のようにドッと押し寄せた。このため同市内の河川は異常増水し、市内の中心を流れる宮川では仮橋が流され、上流では堤防が決壊。簡易水道の水源に土砂が流入し、断水した。山中湖村では床上浸水や道路に土砂が流出した。雪代による被害は昭和36年以来のことで、前日の雪に続く、春のあらしに住民は困惑ぎみだった。

 雪代により増水した同市内の河川は宮川、桂川、神田堀、儘(ママ)堀、間堀。増水は午前6時から10時ごろがひどく、濁流が、ドドドーとすさまじい勢いであふれんばかりに流れた。

 特にひどかったのが宮川。上流の神田堀はいつもは水がチョロチョロなのに、午前6時には水深2.5メートルの濁流。市は災害対策本部を設置し、同8時、第一次出動を発令、職員40人が出動した。護岸工事の境が決裂の恐れがでたため職員や地元消防団員が土のうを積んで応急処置した。近くに住む会社員(50)は「庭の直径30センチのハンの木が根元からそっくり流された」と話し、危険のため家族4人が避難した。

 宮川下流にある深山橋改修のための仮橋(木製、幅1.5メートル、長さ約15メートル)は同7時すぎから冠水、通行止めの直後濁流に流された。

 上吉田の昭和医大西側の宮川上流が15メートルと20メートルの2カ所で決壊した。富士見公園ではプレハブ便所が流され、下吉田の富士麓鱒(そん)場では濁流が流れ込み、マスの稚魚約10キロが死んだ。

 また白糸町簡易水道(給水戸数280戸)の水源地に濁水が入り、同9時全戸の給水をストップした。市水道課では給水車1台を配車して応急処置した。復旧は同夜までかかり、昼食時など主婦たちは大慌て。バケツややかん、ナベなどを持って給水車の前に行列。

 県防災課の話によると、雪代と降雨による被害は河川の決裂2、橋の流出1、床上浸水1、床下浸水4。

 同日の富士五湖地方は河口湖で最低気温が6.7度、日中の最高気温が16.2度と平年より6〜8度高かった。建設省甲府工事事務所吉田出張所の降雨計では23日午後6時から24日午前9時までに45ミリも降った。23日夜からは風も強く、雪代の起きる条件を十分備えていた。

 今回の雪代被害は昭和36年4月以来、16年ぶりのこと。この時は宮川筋の家屋130戸が土砂に埋まり、大きな被害を受けた。

◆7、6合目で雪崩

 富士山では24日朝、7−6合目にかけて雪崩があった。県営富士山有料道路の上方にはひっかき傷のような雪崩あとが数筋見られた。

 23日降った雪が、24日の5月のような陽気と雨で緩んだため。富士吉田署は雪崩の危険を呼びかけていたときで、幸い登山者はいなかった。

◆国道にも土砂

 山梨、静岡両県の県境に近い南都留郡山中湖村旭日丘の籠坂峠で24日午前7時ごろ国道138号線に約20立方メートルの土砂が流出した。このため同国道は一時片側通行となったが、建設省甲府工事事務所富士吉田出張所が復旧作業に当たり、2時間半後には全面開通した。

 県有林の沢から雪代が流れ出したためである。同朝は霧も発生、一時は視界10メートル前後となりドライバーを悩ませた。

◆山中湖で床上浸水

 一方、南都留郡山中湖村旭日丘付近でも雪代で道路わきの水路が土砂で埋まり、濁流が道路上にあふれた。このため、床上浸水1戸、床下浸水3戸の被害が出た。【当時の紙面から】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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