1971(昭和46)年1月16日付

1971(昭和46)年1月16日付
『定着していた富士山の雷鳥 2羽確認≠フ朗報』

 北アルプス白馬岳から昭和35年8月に富士山にも7羽の雷鳥が移され繁殖は完全に定着したものと思われたが、昨年いらい関係者は「死滅してしまったのではないか」と心配していた矢先、10年来富士山の雷鳥を追い続けている流石欽一さん(65)=日本野鳥の会富士山ろく支部=のところに15日、日本野鳥の会富士宮支部の後藤清吉郎さんから「昨年10月ごろ富士宮口登山道で雷鳥の親2羽を確認した」とのたよりが舞い込んだ。雷鳥は2400メートル以上の高山で氷河時代から生きていた鳥で天然記念物に指定されており、“新しい山”の富士山で定着するかどうかは学界でも話題になっているだけに、流石さんは勇気100倍、雪どけを待ってさっそく調べを始めたいと張り切っている。

 白馬岳から富士山吉田口に移した雷鳥は親のオス2羽、メス1羽、ヒナ4羽(性別不明)。2年ばかりは追跡調査は中断したが、37年11月に小御岳上300メートル付近で「雷鳥を見た」という報告が登山者からされた。38年7月には吉田口7合目の釜岩館から「ツバクロ沢で山鳥が子供を連れているのを見た」という連絡が流石さんにあり、流石さんは「標高からして雷鳥」と判断し、1週間後に釜岩尾根で雷鳥の羽根、フン、それに卵のからを見つけた。これが第10回目の調査だったが、この時はついにツバクロ沢でヒナ連れの6羽を確認、流石さんはその姿を初めてカメラにおさめることができた。

 それから39年にも7回目の調査で10羽を確認した。とくに8合目不浄流し(標高3100メートル)では親3羽を見た。また40年には11羽をツバクロ沢で発見しており、雷鳥は完全に定着したということになった。41年には信州大・羽田建三教授らが6月19日から28日まで学術調査をして貴重な資料を得た。43年8月にはお中道のナメ石沢でヒナ3羽、44年10月22日には泉ケ滝尾根で親2羽をそれぞれ見つけている。

 ところが、昨年は雷鳥の姿は夏になっても見たという情報がなかった。9月10日に井上政さん=吉田口山小屋組合長=が吉田大沢8合目で親1羽を見ただけで、親子連れの発見者はなかった。富士山の雷鳥を10年追っかけてきた流石さんは「まだ亡びたというのではない。ことしも調査はやりたい」というが、ここ2・3年は雷鳥の姿が少なくなっているので「死んでしまったのではないか」という心配も大きかった。とくに雷鳥はオス、メス1羽ずつの生息を続けているので、繁殖力が弱いので消滅した可能性も強まっていただけに、後藤さんからの朗報に、流石さんは大喜び、心配も一度に吹き飛んだ−といった表情。「やはり私の期待は裏切られなかった。雪どけを待って本格的な調査に乗り出したい、元気な姿をきっとカメラに収めてみせます」と早くも準備を始めている。 【当時の紙面から】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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