1961(昭和36)年4月2日付

1961(昭和36)年4月2日付
『20年ぶりの「雪しろ」 富士山ろく 各地に被害が続出 幼樹林も土砂に埋まる』

 富士山ろくは20年ぶりといわれる大規模の雪しろ(代)に見舞われ各地に被害が続出している。実弾射撃などで地表が荒らされた上に春の大雪が重なったためとみられる。

 船津測候所の調べでは、今年に入ってから雪が降ったのは1月に9回、2月に5回、3月に10回で例年より降雪回数も多く、去る25日から二昼夜にわたって降った雪は富士吉田市内で30センチという記録的な数字を示した。3月下旬の雪としてはもちろん季節はずれの大雪で富士山5合目では約70センチ、8合目付近で90センチ近くも積もった。

 このため春の雪どけとともに泥水がすそ野一帯に押し出し、砲弾や重車両で荒らされた北富士演習場内のあちこちで洪水のあとのような惨たんたる被害が続発した。また桂川上流や富士吉田市内を貫流している宮川にも溶岩や土砂が演習場や富士山から押し出し、川底が2、30センチから最高60センチ近くまで上がり地元の古老もこの大雪しろは20年ぶりだという。このため3月下旬には山中湖畔旭ケ丘で民家に床下浸水するほどの大水が押し出し、吉田―御殿場間の国道も一部交通がストップした。

 一方、山中湖畔にある富士ゴルフ場上の五林班では、富士吉田市ほか二カ村恩賜林組合の幼樹林が相当広範囲にわたって土砂に埋まり、このほど現地視察した吉田調達事務所職員もびっくりしていた。演習場の荒廃による雪しろなどの被害を防ぐため、国では毎年1億2、3000万円を出して全額国庫負担の特別損失補償工事を実施しているのが、山林が砲弾のため荒れているで防災工事も焼け石に水。

 雪しろが発生すると造林地や耕地が被害を受けるほか、河川が各所ではんらんし、土砂が水路を道を埋めて通水が困難になり、かんがい用水に大きな支障を与えるので、富士吉田市内の農家もこの被害には頭が痛い。これから日中の温度が上がると雪しろの被害はさらに続発する公算が大きく、南都留郡中野、忍野両村と富士吉田市では、この自然の猛威にはまったくお手上げの形だ。 【当時の紙面から】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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