1949(昭和24)年11月2日付

1949(昭和24)年11月2日付
『富士山頂を極める 国体山岳部門 瞬間、感激のがい歌』

 【2日、茂手木、小田切特派員発】第4回国民体育大会山岳部門富士登山隊第2日、白雪に閉ざされた山の朝は明けて、昨夜県営ヒュッテ芙要寮(A班)、小御岳神社(B班)5合目佐藤小屋(C班)に分宿、夢を結んだ選手一行は夜明けとともに、シュラアフザック(寝袋)からはいだし朝の冷気に耐えながら、毅然としてそびえる霊峰にいどむ準備にかかる。六時朝食をすませAコース(屏風尾根)富山、山梨、愛知、鳥取、東京の1隊15名は3人を1組としたパーティを組み、ザイル、アイスパイル、アイスピトン(岩釘)、カラビナ(不凍食糧)を詰めた重いリュックを背にウインドヤッケに身を包み、4名のインスペクターとともに目指す屏風屋根へ向かった。白雪に覆われた急斜面にピッケルを振い足場を作りながら、頂上への強行アルバイトを続け、午前11時5分頂上の久須志神社に到着。北に白雪をいただく金峰、甲斐駒の雄大な眺めを満喫した。

 Bコース(大沢)北海道、宮城、福島、埼玉、神奈川、新潟、石川、福井、長野(2組)、山梨、岐阜、広島、山口、福岡の1隊48名は9名のインスペクターとともに、小御岳の宿舎を出て、夏道の7合5勺を上り、それより大沢の傾斜の急な雪渓登山にかかりひざが見えなくなる程の深い軟雪あるいは堅雪とたたかいつつ、急斜面をお額から胸突き八丁を過ぎ、午前11時25分頂上を極めてA班と合流した。Cコース(夏道)山形、栃木、富山、東京(2組)山梨、長野、静岡、三重、愛知(2組)、大阪、京都、鳥取(2組)、奈良、福島、愛媛、熊本(3組)、大分、福岡(2組)、長崎、宮崎、鹿児島、群馬の1隊71名、および岡山玉野高校の女学生3名は、18名のインスペクターとともに、5合目の佐藤小屋を出て富士の北面全容を仰ぎながら、6合目のA、Bコースにおとらない急斜面をピッケルを振りつつ7合5勺、8合と登攀を積みつつ頂上目指し登行、午前11時40分、ついに頂上に到着した。

 本県選手団もAコース水口彌(南嶺会、Bコース生原徳明、甲営山岳部)、Cコース高室陽二郎(山大)をリーダーに他県の選手とともに元気いっぱいに登行した。また頬を紅潮させながら、他の選手におとらぬ立派な足取りで、Cコースを登った玉野高校の女学生3名は、この壮挙に情趣を添えた。こうして再び宿舎へ到着した選手一行は、無事に壮挙をおえた喜びにひたりつつ下山の途につき、同5時に五合目の山小屋に到着。汁粉に舌づつみをうちつつ、強行に疲れた身を端に横たえた。

 なお今日3日目は、夏道8合目から頂上にかけて、技術講習会を開催する。課目は「永雪登山技術」「雪中幕営」「雪洞およびイグル(雪小屋)」「御中洞強行めぐり」などで、もし天候が不良の際は種有恒氏らの講演会を5合目小屋で開く予定である。【当時の紙面から】

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
当ウェブサイト上の掲載情報、写真等の無断複写・転載を禁止します。