中村星湖と富士

中村星湖と富士
 1884・2・11−1974・4・13。小説家、仏文学者。河口村(現・山梨県富士河口湖町)生まれ。本名将為。

 幼少より文学に親しみ山梨県立尋常中(現・甲府一高)に入学すると、「中学世界」「中学文壇」などの雑誌に投稿を始めた。早稲田大学に進み相馬御風・秋田雨雀らと知り合う。『早稲田文学』で、応募した懸賞小説「少年行」(1907年)が一等(二葉亭四迷、島村抱月選)になり、星湖は学生作家として華々しく文壇デビュー、自然主義文壇での彼の文名を一躍高めた。

 「熔岩(ラバ)のくずれの富士の裾は、じつに、広漠たる眺めである」。「少年行」はこの一節から始まる。富士山麓のふるさと河口湖の四季折々の風景、風物が織り込まれたある友人との交友を中心にした物語。星湖は生涯を通して、富士の秀麗さだけではなく、麓に住む人々の営みや心の動きを記し、富士山の文化を多面的に描き出した。河口湖畔産屋ケ崎には「少年行」の碑(1957年建立)がある。

 以後、「文章世界」「新潮」「中央公論」などに小説、評論、翻訳を発表し続け、「ボヴァリー夫人」などの翻訳料でフランスに留学した。

 1923年から前田晁とともに山梨日日新聞のサンデー文壇小説選者となり、短歌の佐々木信綱、俳句の内藤鳴雪、飯田蛇笏、川柳の阪井久良伎らとともに郷土の文芸を支えた。1925年、山梨県出身の文化人のグループ山人会の結成にも参画、名称も提案、1971年4月まで会長を務めた。1940年には富士五湖地方文化協会を結成、機関誌「五湖文化」を創刊。また、山梨学院大教授、河口湖村教育委員長、山梨ペンクラブ顧問なども務め、1956年には山梨県文化功労者にも選ばれるなど、県内の文化振興に尽力した。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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