33年にわたる御師の日記

33年にわたる御師の日記
 「菊田日記」は菊田式部広道が、江戸時代の享和から天保の33年にわたって書き綴った日記。山梨県富士吉田市のふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)所蔵。市指定有形文化財。

 菊田家は代々富士岳神社の御師の家柄で、上吉田に居住。菊田式部広道(俳名穂並)は1768年に生まれ1835年に68歳で没したが、上吉田村の名主として富士山御師の年行司として行政的手腕を発揮するとともに、親類である刑部国仲・国秀父子などと国学や歌道に親しみ、上方文化にあこがれていた文化人でもあった。

 日記は1803年10月14日から1835年7月12日に至る33年間にわたり、筆者が関係したこと、見聞したことを自己の備忘録として和とじ20数枚から50枚くらいのもの36冊に細字で丹念に書きしるしたものである。内容は大別すると村関係、御師関係、国学・歌道関係、その他とすることができる。

 この年代の上吉田村は富士講の道者の数からいうと最盛期の御師の村であるが、村全体としては農民の数が多くて、この面からは農村であった。爛熟した江戸文化の甲州における一つの文化的中心地でもあるという面ももっていた。「菊田日記」はこれらをうかがう貴重な資料といえる。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
当ウェブサイト上の掲載情報、写真等の無断複写・転載を禁止します。