ええじゃないか

ええじゃないか
(ええじゃないか)

 富士川を上って来た幕末の騒乱。1867(慶応3)年8月末、皇太神宮のお札が空から降ってきた―というウワサが名古屋で始まり、慶事の前兆として人々は戸外へ踊りだしたという。この波は、西は京都、東は江戸へと東海道沿いに広がり、その一波は富士川を北上して、10月18日に甲斐国(山梨県)鰍沢、26日には甲府へ達し、釜無川沿いから年内には信州へ抜けた。さらに郡内へ抜けた分派は11月6日に船津村(現・富士河口湖町)、18日には成沢村(鳴沢村)に達した。派手に男装や女装した女や男が「ええじゃないか、ええじゃないか、くさいものに紙をはれ…」というように歌いながら夜も昼も町中を練り歩く。疲れると、どこの家でも上がり込み、飲食して寝込んでしまう。起きるとまた町へ踊り出す。踊り言葉は各地で微妙に異なり、次第に卑わいな表現が即興的に織り込まれていった。

 お札は甲斐の場合、皇太神宮が多く、七面明神、魔利支天、水天宮、大黒天、秋葉山もあり、そのうちに馬の骨や生首、糞も降るという狂乱ぶりだった。折から60年に1度の伊勢神宮へのお陰参りにわく年で、幕末、維新の潮流がこれを増幅させた―とする見方がある。

 しかし、お札を作ったり降らせるのには仕掛け人が居たはずで、討幕派が日本中を混乱に陥れ、それに隠れて討幕工作を進めるための陽動作戦ではなかったかという解釈が多いが、真相は不明。11月18日の成沢村の冨右衛門日記には「大田和ニ札雨降コト数多クロキ権現栄左衛門ニハニ行船津川口大石長浜根場村々ニ金之玉月様或ハ人之菌ナゾフルコトアリ…」とあるが、前年1月12日の同日記には「富士山にお日さまが2つも3つもあがった―と村民が騒ぎだし、お山に手を合わせて拝んだ」とある。大きな時代のうねりを住民が本能的に感知していたことを伺わせる。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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