新田次郎の業績、人間味を網羅

新田次郎の業績、人間味を網羅

 富士山を愛し、富士山を舞台にした作品を数多く残した作家新田次郎(1912−1980年)の全作品、年譜、人となりを紹介した「新田次郎文学事典」が刊行された。新田文学、人間の魅力が網羅・凝縮されている。

 新田は1932年、無線電信講習所(現電気通信大)を卒業し、中央気象台に勤務。同年から5年間、富士山観測所交代勤務員として冬の富士山を体験、後に気象庁測器課長として富士山頂での気象レーダー建設を担当した。

 親交が深かった内藤成雄さん(富士吉田)は、1976(昭和51)年5月、新田が富士山5合目を訪れた際、枯死した樹木を目の当たりにして涙を流したというエピソードを披露。「人間の生活、営みは美しい自然環境の中でこそ全うされるものだし、それを破壊するものは容赦しない」という新田文学に流れる強い信念を紹介している。

 新田の二男で数学者の藤原正彦さんは、人間味あふれる新田の素顔を伝えている。東大出身の気象庁同期生に対し、根深い学歴コンプレックスを抱いていた新田。正彦さんが東大で理学博士号を取得すると「おまえみたいなバカでも理学博士をとれるんだ。完全にコンプレックスがなくなったよ」と言ったという。また気象技術者と作家の二足のわらじを履き、同僚の冷たい視線に心を痛めていただろう父を思いやっている。

 同事典は没後25年を記念して新田次郎記念会が編集。夫人の藤原ていさんが出会いから結婚生活まで夫・新田次郎をつづっているほか、森村誠一さん、阿刀田高さん、高橋千劔破(ちはや)さんらが思い出を寄せた。

 全作品の内容、初出・書誌、主要作品の書き出し、鑑賞を収録。「強力伝」「武田信玄」「富士に死す」「栄光の岸壁」など代表作は文庫本の解説(近藤信行さんら執筆)も再録。

 巻末には年譜、墓・文学碑・展示室をまとめた資料も収載。山梨県内では、富士吉田市の富士山レーダードーム館前、稲荷社、富士河口湖町の妙法寺に碑が、また、富士山レーダードーム館に新田次郎コーナーが設けられている。

 「新田次郎文学事典」は新人物往来社刊。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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