英一蝶と富士

英一蝶と富士
 英一蝶(1652−1742)は、伊勢亀山藩石川侯の侍医の子として、京都に生まれた。幼少期に家族とともに江戸へ移住後、絵に興味を持ち始め、狩野派の門を叩いて幕府御用絵師の狩野安信に絵を学んだ。瀟洒(しょうしゃ)な狩野派の技法を習得しながらも、その在り方に満足することなく、岩佐又兵衛から菱川師宣へと流れる風俗画を慕い、親しみやすい作品も残している。また、早くから松尾芭蕉をはじめ、其角や嵐雪らと親交を結んでいることも知られる。

 転機となったのは、一蝶が46歳の時の1698(元禄11)年。大名や旗本の逸遊楽興の相手をしたことが災いして幕府の禁に触れ、三宅島阿古邑へと島流しになるが、一蝶は貧困の中でも決して絵筆を捨てることはなかった。11年の流刑後、57歳の1709(宝永6)年に、幕府の許しを得て江戸へ戻り、雅号を英一蝶と改名。その後は、温雅で保守的な狩野派風の作品を残している。

 一蝶の描く富士山は、狩野探幽などを思わせる純然とした狩野派の風景画が多い。馬入川(相模川)、もしくは富士川と富士山を見下ろすこの「富士山図」には、清々しい富士山を背景に、船頭や旅人、子どもたちなどが生き生きと描かれている。ちなみに三宅島に配流中の一蝶は「江戸を思い出す時、遥かかなたに見える富士山を思う」と「朝清水記」に書き記している。

 一蝶の代表作には「朝暾曳馬図」(静嘉堂蔵)、「四季日待図巻」(出光美術館蔵)、「布晒舞図」「見立琴棋書画図屏風」(遠山記念館蔵)などがある。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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