白瀧幾之助と富士

白瀧幾之助と富士
 白瀧幾之助(1873−1960年)は兵庫県の出身。小学校を卒業後、工学士を夢見て上京するが、洋画家、山本芳翠(1850−1906年)との出会いによって洋画家を志し、山本が主宰する生巧館画塾や、黒田清輝(1866−1924年)の天真道場で学んだ。

 東京美術学校には以前の修業が認められ、3年に編入。卒業後は、ニューヨークやロンドン、パリで7年間学び、イギリス水彩画の影響を色濃く残した作品を描いている。帰国後は、日本水彩画会の創立に参加したほか、文展、帝展、日展を舞台に活躍し、1952(昭和27)年、日本芸術院賞恩賜賞を受賞している。

 白瀧は静岡側から見た「三保の富士」と、山梨側から見た「精進湖パノラマ台の富士」(いずれも山梨県立美術館蔵)の2枚の富士を描いているが、いずれも的確な描写の水彩画で、外光表現を取り入れた穏健な写実的な画風を示している。平明でオーソドックスな風景には白瀧の画家としての生き方がよく表れている。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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