夜空焦がす炎、過ぎ去る夏

夜空焦がす炎、過ぎ去る夏

 2012年に国の重要無形民俗文化財に指定された「吉田の火祭り」は、山梨県富士吉田市で毎年8月26、27の両日(旧暦の7月21、22日)に開かれる。静岡県の「島田帯祭」り、愛知県の「国府宮はだか祭り」と並び、日本三奇祭の一つに数えられる伝統行事。国道に並べられた大たいまつが夜空を焦がし、辺りが荘厳な雰囲気に包まれると、2013年に世界文化遺産となった富士山に山じまいが告げられる。

 大たいまつが燃え上がるイメージが強い「吉田の火祭り」だが、富士山の火山活動を鎮める意味も込められ、「鎮火大祭」とも呼ばれる。富士吉田市上吉田の北口本宮冨士浅間神社と、同神社境内の諏訪神社の例祭に位置付けられ、中心は「明神神輿(みこし)」と「おやま神輿」の2基の御旅所への渡御と還御。室町時代の資料に起源が記され、約400年の歴史を誇る。

 室町時代末の「吉田之新宿帳」(1572年)には、上吉田の氏神・諏訪神社の祭りとして行われていたことを伝える記述がある。諏訪神社の神主家・佐藤氏の屋号を表す「玉や(屋)」を用い、「玉やへ御幸路(みゆきみち)」とあり、本来は諏訪神社の祭りだったことを示している。

 明治維新の後、諏訪神社は浅間神社の摂社となった。しかし、祭礼を諏訪神社のものとする意識は根強く残り、今でも神輿の渡御の起点と終点は諏訪神社になっている。

 祭りでたいまつを燃やすようになった起源は、北口本宮冨士浅間神社にまつられる木花開耶姫が、燃え盛る火の中で皇子を出産したとの故事に由来するともいわれる。江戸時代後半の文化年間の記録に「篝火(かがりび)」「神篝火」の記述がある。

 一方、諏訪神社の祭神・建御名方神が戦に際して、たいまつをともして戦ったという逸話に基づく説もあり、かつては上吉田で伝承されていたという。

 現在では富士山の夏山シーズン、富士北麓地域に夏の終わりを告げる風物詩ともなっている。

 祭りは26日午後、同神社で行う「手水の儀」で幕を開ける。本殿祭、諏訪神社祭りなどを行い、同神社から富士山をかたどった「おやま神輿」と「明神神輿」の2基が勇ましく出発する。

 神輿は国道139号などを練り歩き、上吉田コミュニティーセンターに設置された御旅所に到着。「御旅所着輿祭」を経て、本町通り沿いの大たいまつや、氏子宅前に組まれた井げた状のたいまつに点火が始まる。

 通り沿い約2キロにわたって並んだ大たいまつが燃えさかると、一帯は火の海と化し、荘厳な雰囲気に包まれる。人々は夜空を焦がす炎を見上げ、去りゆく夏を惜しむ。上吉田地区が赤々と燃える炎で彩られるころ、富士山吉田口登山道の5合目から8合目の各山小屋もかがり火をたき、夏山シーズンの安全な登山に感謝の意を表す。

 本祭りとなる27日の「すすき祭り」は、安置されていた2基の神輿が午後、還御するため御旅所から北口本宮冨士浅間神社へ向けて出発する。市内を巡行した後、諏訪神社に到着。2基の神輿が境内の高天原(たかまのはら)を、見物人を従え7周し、フィナーレを迎える。

 クライマックスでは「おやま神輿」が地面にたたきつけられるように3回落とされると、見物人からは拍手や歓声が沸き起こり、祭りも最高潮に達する。「おやま神輿」を打ち落とすのは、「富士山の代わりに、神輿が“噴火”することで、地域や住民の安全を願う」という説がある。

 神輿が高天原を回る時、秋の風物詩であるススキの穂に、しめ縄を付けて後をついていくと、「商売繁盛」「学業成就」「安産」などの願いがかなう、という言い伝えもあり、「すすき祭り」の名が定着したという。

 なお、都留市の「八朔祭」、上野原市の「牛倉神社例大祭」とともに、郡内三大祭りの一つとしても知られる。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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