葛飾北斎と富士

葛飾北斎と富士
 葛飾北斎(1760−1849年)は、江戸本所割下水の生まれ。本名は鉄蔵、幼名は時太郎と名乗ったが、北斎は生涯に30回雅号を変え、93回もの引っ越しをしている。

 19歳の時に、勝川春章に弟子入りし、翌年から勝川春朗の号で役者絵を描き始めるが、30歳ごろに勝川派を破門され、琳派に弟子入りする。この時に浮世絵以外のさまざまな絵画を学び、40歳ごろまで俵屋宗理の号を名乗った。その後は葛飾北斎の号を用い、生涯に2万点にもおよぶ作品を描いている。美人画、歴史画、花鳥画、役者絵などを得意とし、とくに風景画は歌川広重とともに一時期を画した。

 「冨嶽三十六景」は、為一の画号を用いた北斎72歳の時の大作。北斎の画業の中でも意義ある作品で、浮世絵版画に本格的な風景画をもたらした。富士をテーマに機知に富んだ構図でまとめられ、西洋版画の手法である遠近法など、和漢洋の技法が巧みに用いられている。北斎の「冨嶽三十六景」にはほとんどの作品に人間が描かれていて、その点でも人と自然とを美しく共存させた傑作といえる。

 「冨嶽三十六景」は、あまりに人気があったため、表題の36景のほかに、俗に「裏冨士十景」と呼ばれる10編が加えられ、全部で46図が出版された。山梨で描かれた作品は、河口湖に写る逆さ富士を描いた「甲州三坂水面」をはじめ、「甲州石班(かじか)澤」「甲州三島越」「甲州伊沢暁」「身延川裏不二」「甲州犬目峠」の6点がある。

 北斎は89歳でこの世を去る時、「あと10年生きられたなら」と言い、「もう5年あれば、本物の絵描きになれただろうに」と言ったという。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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