浅間神社

浅間神社
(せんげんじんじゃ)

 富士山信仰に基づいて成立した神社である。「山梨県政六十年誌」によると、浅間神社は山梨郡2、八代郡5、巨摩郡3、都留郡18の計28社としているが、1985(昭和60)年発刊の「山梨県神社誌」によると36社とある。神社の創建を富士山本宮(富士宮市)と同じ807(大同2)年と社伝にあるという小室浅間(富士吉田市)もあるが、一般的には865(貞観7)年以後が通説になっている。

 864(貞観6)年5月、駿河国富士郡正三位浅間大神の大山(富士山)が噴火し、方12里を焼き溶岩が甲斐国界を越え本栖湖を埋めたと報告した。7月には甲州国からも溶岩が本栖、「せ」両湖を埋め人家を没し、さらに火炎は東の河口湖に向かったと報告した。朝廷は祭礼の怠慢のため神明がたたりを発したと警告。翌7年12月9日に朝廷は、伴真貞を祝、同郡人伴秋吉を禰宜として郡家(役所)以南に神宮を立て官社に列した。さらに12月20日には、山梨郡にも八代郡同様に浅間明神を祭らせることにした。

 貞観7年に八代郡に建てられた浅間社は「延喜式」にいう八代郡の名神大社で、現在笛吹市一宮町に鎮座する浅間神社とする説が有力である。しかし異論もあって、八代郡の式内社は富士河口湖町河口または市川大門町高田の浅間神社とする説もある。

 祭神は木花開耶姫命。江戸時代の社名は浅間明神が多かったが、富士権現、富士浅間明神、神仏習合思想から富士浅間大菩薩と称したこともあった。現在の社名では浅間神社以外に迎富士浅間神社、浅間愛鷹神社、浅間日月神社、無戸室浅間神社などがある。社名は勧請の由来を示している。愛鷹は富士山を取り巻く霊山信仰、日月は相殿に天照皇大神と月読尊を祭ることによる。無戸室は富士講が盛んになり、胎内に浅間明神を延宝年間に祭ったことによる。

 富士講の最盛期に勧請され、扶桑教から浅間神社になったのが身延町西島、身延町水船である。笛吹市一宮町の浅間神社は甲斐国一之宮として、また春の大御幸でよく知られる。吉田の火祭りで知られる北口本宮浅間神社、長い伝統を持つやぶさめ神事の小室浅間神社、本宮を富士の2合目に、里宮を河口湖畔に持ち「勝山記」を所蔵する富士御室浅間神社、貞観7年創建といわれる富士河口湖町の延喜式内名神大社浅間神社などがあって、浅間社には甲斐国の名社、大社が多い。
吉田の火祭りで知られる北口本宮浅間神社(富士吉田市)

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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