銭湯の富士

銭湯の富士
 絵を題材に富士山と日本人のつながりを語るとき、銭湯の壁画は外せない。日本一の山を眺められない場所に暮らす人たちは、絵を見て霊峰に思いをはせる。雄大な富士の裾野で湯につかっているようで、公共浴場の浴槽を一層広々と感じさせてくれる。



 風呂の歴史をひもとくと、寺院で修行前に身を清めるために行った「施浴」にルーツがあるという。

 全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会によると、奈良時代に光明皇后が寺院で施浴したのが初めてと言われる。平安時代ごろには庶民にも施浴が広まり、銭湯のはしりとされる「町湯」が登場した。当時の風呂はいわゆる「蒸し風呂」だったが、17世紀初頭には湯に体全体が漬かる風呂も広まった。

 銭湯の背景画は、1912(大正元)年、東京・神田の「キカイ湯」が初めてと言われる。キカイ湯の壁に絵師がペンキで描いたのは富士山で、その後、ペンキ絵は東京など関東一帯に広がった。

 銭湯の「定番」とされる富士山の壁画だが、そうした文化は東日本が中心で、西日本には背景画がない銭湯が多い。

 内風呂が普及する高度経済成長期前までは、銭湯は多くの庶民が集まった。公共空間に集まる人を目当てに、壁面には広告が並んだ。富士山のペンキ絵は当時、銭湯広告の代理店がサービスとして描いていたという。



 ちなみに山梨県内の銭湯のうち、中央市若宮の日帰り温泉「湯殿館」の浴室壁面には、銭湯絵師・中島盛夫さんが描いた巨大な富士山がある。男湯と女湯それぞれに縦2メートル、横5.5メートルのパネルに、山梨県側から見る富士山をイメージして描いたという。

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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