身近な場所にミニチュアの“聖地”

身近な場所にミニチュアの“聖地”

 「富士塚」は、富士山信仰の一環で造られた富士山を模した人造の山で、高さ数メートル〜十数メートル。人々は古くからこの塚を礼拝の対象としてきた。

 江戸時代、富士山を信仰し登拝するグループ「富士講」により、関東地方を中心にあちこちに造られた。身近な場所にミニチュアの“聖地”を造ることで、女性や子ども、老人など、富士山に直接登ることができない人でも御利益を得られるようにするのが目的。

 塚の表面には登山道を造り、溶岩を積み上げ、5合目の小御嶽神社を配置するなど、忠実に富士山を再現した塚もあり、山開きも行われたという。中には国の重要有形民俗文化財になっているものも。富士塚の出現は、一部の修験者による富士信仰が、庶民に広がっていたことを示している。

 静岡県の富士市立博物館が1993年に、関東など1都8県の教育委員会などを対象に行った調査によると、当時富士塚とされる場所は1都8県で数百カ所あった。また、富士塚調査報告書と山梨県遺跡台帳によると、山梨県内の富士塚は既に存在していないものも含め28カ所。実際の富士山が仰げる場所が見立てられている場合が多い。浅間の石祠(せきし)を頂部に祭ってあるのが普通である。山梨市万力山の富士塚がその典型であるが、現存では甲府市上阿原、富士川町舂米(つきよね)の富士塚など規模が大きい。甲州市塩山竹森の浅間塚は直径15〜20メートル、高さ3メートル。階段を10段ほど登れば頂上。頂上の碑には「富士浅間大神」と刻まれている。また、内部からは何も発見されず、たまに表土近くから文銭の出土などある。

 時代の移り変わりとともに、塚の取り壊しや礼拝の慣習が失われたケースも多いが、東京都清瀬市の中里富士塚(東京都指定有形民俗文化財)では毎年9月1日に、山閉まいの儀式として「火の花祭(東京都無形民俗文化財)」を実施。登山道にろうそくを立て、富士山をかたどった麦わらを塚の前で燃やすなど、現在も富士山信仰が根付いている。

 【写真】江戸時代、はるばる富士山から溶岩を運んで築き上げた小野照崎神社の富士塚。「お山開き」に一般に開放され、登拝が許される=東京都台東区下谷

山梨日日新聞社 YBS山梨放送
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