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2002.6.21 所属カテゴリ: ふじさんクエスト / 社会・歴史 /

先人の生活と噴火の関係を知る遺跡

 山梨県富士吉田市大明見にある古屋敷遺跡は、背戸山南麓の緩斜面および杓子山西麓の古屋川右岸段丘上に立地する。背戸山南麓の緩斜面からは縄文時代早期から同時代後期、弥生時代中・後期および平安時代と広範囲にわたる遺物が認められている。

 1981年の発掘調査では、3地点(6メートル×13メートル、4メートル×4メートル、2メートル×24メートル)で深さ2メートルほどのグリッド(穴)を作って行った。住居跡が3つ見つかり、多数の土器片も発掘した。土師器(はじき)、須恵器のほか、甕(かめ)、平安時代の特徴である灰釉(かいゆう)陶器も発見。また、土器に墨で字を書いた墨書土器片も出土。これは「小天」の文字がくっきりと残っていた。このほか事前調査で鉄の鎌、鉄の鏃(やじり)なども見つかっている。

 1988年の発掘調査は、市史編さん事業の一環として原始、古代の資料収集を目的に行われた。杓子山西麓の南向き斜面で、民有地8カ所を発掘、このうち4カ所から住居跡、炉址、配石遺構、土器片などが出土。住居跡は円型で大きいもので直径約4メートル。1カ所に5基、もう1カ所に2基が重なっていた。前の住居が廃棄された後、同じ場所に建て替えられたとみられる。縄文早期の土器としては、関東タイプ以外に東海地方の影響を受けた形や、同遺跡独自の尖低土器もあった。住居跡内からは水晶の矢じり(長さ約3センチ)2点も見つかった。縄文前期の料理場とみられる長軸0.7-1メートルのだ円型の集積土壙、江戸時代初期の墓域も確認した。また、富士山の火山活動に伴う火山層もはっきりと残っていて、先人たちの生活と噴火のかかわりを知る大きな手掛かりとなる遺跡として注目。

 1990年の調査では、約60平方メートルを発掘。竪穴住居跡、屋外炉、縄文土器、石器類などが見つかった。また、縄文早期後半の水晶製掻器(スクレイバー)や石製垂飾(ペンダント)などが出土。水晶製掻器は長さ約3センチで指先でつまむ程度の大きさ。肉などを調理するときに使われたとみられる。石製垂飾は粘板岩製で長さ5.5センチ。糸を通す穴が開いていない未完成品だった。さらに、石器を作るときに出る剥片(はくへん)も発見された。
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