1つ前のページに戻る

富士山世界文化遺産・構成資産『船津胎内樹型』

 山梨県富士河口湖町。937(承平7)年の富士山噴火の際に流出した溶岩が樹木を取り込み、その後冷えてできたとされる。1617年に長谷川角行が富士登拝した際に洞穴を発見、内部に浅間大神をまつった。1673年に富士講信者が現在の船津胎内樹型を見つけた。最も広いところで幅2.8メートル、高さ1.2メートル。国の天然記念物に指定されている。

 主に「母の胎内」「父の胎内」と呼ばれる二つの樹型からなる。「母の胎内」の奥には、富士山の祭神である木花開耶姫がまつられている。

 富士山信仰では胎内に入り、外に出ることで生まれ変わるとされている。富士講信者は富士登山前に胎内樹型を訪れ、洞内を巡って身を清めた。

 2019年、県立富士山世界遺産センターなどが富士吉田から船津胎内樹型に至る信仰の道について調査を行った。管理する河口湖フィールドセンターによると、構成資産となって以降は訪問者が倍増。

広告