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2019.3.15 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 3月 /

パイクス峯に富士山の溶岩 富士吉田市の姉妹都市・コロラドスプリングス市からの便り

 富士吉田市の姉妹都市コロラドスプリングス市の郊外にある海抜4300メートルの、パイクス峯の頂上に、富士吉田市から贈られた富士山の溶岩が飾られた。昨年の大みそかの夜から今年の元日にかけて雪の降る中をホース市長みずからが持ち上げたもので、その時の写真と詳報が、山梨日日新聞社に届けられた。

 「コロラドスプリングス市のパイクス峯と富士吉田市の富士山はこれから永久に手をつないでゆくだろう。〝東は東、西は西、共に合する時はない〟ということわざのようにこの2つの霊峯も地球上、はるかに離れている。しかし今やコロラドスプリングスのホース市長と富士吉田の渡辺新市長をはじめ両市の姉妹市委員やパイクス・アダマン登山クラブの人たちの力で、2つの山と2つの市が友好的な結びつきを見るに至った…」とこういう書き出しで当時の模様をつぎのように伝えている。 

 冬のパイクス峯に登るのはとても楽ではない。雪が積もり風が強い。何回も訓練をうけた専門の登山家でなくてはできない業だ。しかし若いホース市長は決意した。「ことしの年男に、選ばれた以上は、姉妹都市の記念行事としてもぜひ自分で富士山の溶岩を持っていきたい」と。

 ホース市長は登山装備に身を固め、溶岩と消防団のハッピをリュックに納めて大みそかの夜、出発した。ハッピは昨年12月にコロラドスプリングス市を訪れた富士吉田市医師会長羽田曄さんが持参したもので「富士吉田市市長」と書かれている。ホース市長の登山には世界的に有名なアダマン登山クラブの会員5人も同行した。

 一行は大みそかの夜、7合目の小屋に一泊した。元日は早朝に起き、午後になってやっと頂上の小屋に着いた。登って行く途中、一行はふもとのコロラドスプリングス市内に向けて鏡で太陽の光を反射させた。これにこたえて市民もまた鏡で声援の光を送った。この時、市内は一せいに数千の光がキラキラときらめいて、それを見て何ともいえない感激に、勇気がわきでたと市長はいっている。

 海兵隊のモサだっただけあってホース市長は寒さと強い風とたたかいながら4000メートル以上の頂上を征服、無事に頂上の山小屋に富士山の溶岩を届けることができた。その夜9時、山小屋の外で花火をあげ、姉妹都市親善の記念行事を果たすことができたことを下界の市民たちに知らせた。

 帰りには頂上の石を記念に持ってきたが、この石は近く富士吉田市に送られ、渡辺市長の手によって富士山頂に飾られることを期待している。

 ホース市長は「そうすれば毎年何万人もの登山者が、両方の山頂で石を見ては両市の姉妹市親善のことを知り国際友好に大きな意義をもつだろう。私はこの大事業をなしとげたことを、誇りにしている」と語っていた。そしてさらに「この記念行事は昨年12月28日に山梨日日新聞社の小林茂編集局長がコロラドスプリングス市を訪ねた時、約束したことだったが今やその通りに実現してここに喜んでお知らせするわけだ」と結んでいる。 【当時の紙面から】

(1965年3月15日付 山梨日日新聞掲載)
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