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2019.6.22 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 6月 /

盛り上がる富士ご縁年 富士吉田市

貴重な資料集発刊 すその路郷土研

 富士吉田市内で古文書を研究しているすその路郷土研究会は、60年に1度の庚申(こうしん)ご縁年に関する資料を1冊の本にまとめて発刊した。資料の中にはご縁年をめぐって吉田の御師と河口湖の御師が道者争いをしたり、富士山ご縁年と庚申信仰が同一と誤って伝えられていることなど、これまで不明とされてきた貴重な資料が明らかになり富士山のお山開きを前に話題を呼びそう。

 本のタイトルは「富士山御縁年」。ことし正月の第1回例会で、庚申の年に合わせた資料をまとめ、同会の発表雑誌「すその路」で特集することを決めた。この後、会員が手分けしてご縁年に関する古文書を探し歩き、同市上吉田の「筒屋」「大国屋」「上文司」など、古くからの御師の家から100点を超す古文書を集めた。ほとんどが、100年以上たって初めて開かれたもので、同会は毎週水曜日に開いている研究会の席で解読作業を続けた。

 本は会員が手分けして各テーマごとにまとめた。「富士山ご縁年と庚申信仰」では、ご縁年と信仰とは全く異質なもの、と起源を元に資料を通じて明らかにしている。また「登頂の禁制」では、女性の登山に各説あったものに、豊富な古文書から初めて〝統一見解〟を示している。

 これによると、女性の富士登山は普通の年は2合目までしか登れなかったが、ご縁年の年に限り4合5勺の御座石浅間神社まで登山が許された。登山する女性は2合目の行者堂で1週間の行を経て登山し、御座石神社は〝女人追立の場〟と言われていたと説明している。

 またご縁年の年は、登山者を迎える御師と農民に争いがあることなども伝えている。

 一方、今も昔も登山客を誘致するのは同じという資料も出てきた。「万延元年御縁年建礼をめぐる争いについて」をみると、ご縁年をPRするために今の金にして1000万円もの大金を投じて関東各地に建礼を立てた。これは吉田の御師が寺社奉行の許可を得て出したものだが、当時(江戸時代)河口湖御師が奉行に無断で建礼を甲府に立てたことから争いとなり、寺社奉行所に直訴する騒ぎになった-とまとめている。このほか、14項目についてそれぞれ詳しく説明している。

 出版について研究会は「ご縁年について地元の人にさえも詳しいことは知られていない。一生に1回の祭りということで、祭りの継承もままならないのが実情だ。ここで史料をまとめることは次のご縁年の際には役立つことになる」と話している。 【当時の紙面から】

(1980年6月22日付 山梨日日新聞掲載)
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