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芸術、文化 類いまれな価値

創作意欲を刺激、西欧に影響

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会で、「富士山」(山梨県、静岡県)の世界文化遺産登録が決まった。評価の最大のポイントは、美しい自然ではなく、さまざまな芸術や信仰を生み育ててきた「日本文化の象徴」としての類いまれな価値だ。

富士山が登場する芸術・文学作品の例

 その秀麗な姿から、富士山は絵画や文学の題材に何度も取り上げられた。朝焼けに染まる様子を描いた葛飾北斎の「凱風快晴」は江戸時代に流行した浮世絵の代表例で、鮮やかな色彩や大胆な構図はゴッホなど西欧の画家にも影響を与えた。

 文学では古くは万葉集、近代でも夏目漱石の小説「三四郎」や太宰治の「富嶽百景」に登場。西行や松尾芭蕉も歌や句に思いを託した。

 創作意欲を刺激する一方、噴火を繰り返した富士山を人々は恐れあがめた。神仏が宿るとされた頂上への信仰登山や山麓の巡礼活動が古くから行われ、室町時代の「富士曼荼羅(まんだら)図」にも描かれた。江戸時代には現世利益と結び付き、信者組織の「富士講」が庶民の間で大流行した。こうした信仰の伝統は、今も山頂で日の出を拝む「御来光」に引き継がれている。


20年にわたる 登録への歩み

1993年

山梨、静岡両県の自然保護グループでつくる「富士山を世界遺産とする連絡協議会」が旧環境庁に富士山を世界自然遺産候補とするよう要望(5月)

2001年

富士吉田市が富士山に関する観光、環境施策を充実させるため富士山課を設置(4月)

富士山課を設置

2003年

世界自然遺産候補地として、国の検討会で富士山など17地域が浮上(3月)
山梨、静岡両県が環境省などに富士山が最終候補地に選定されるよう求める要望書を提出(5月)
国の検討会で富士山が世界自然遺産の候補から外れる(5月)

2005年

世界文化遺産登録を目指し、中曽根康弘元首相ら政財界人らが「富士山を世界遺産にする国民会議」の発起人会を立ち上げる(3月)

「富士山を世界遺産にする国民会議」の発起人会

富士山を世界遺産にする国民会議がNPO法人として発足(4月)
山梨、静岡両県が合同会議を立ち上げ、世界文化遺産登録に向けた活動をスタート(12月)

2006年

山梨、静岡両県合同会議が、富士山の世界遺産暫定リストへの追加を国に提案(11月)

2007年

富士山が世界遺産暫定リストに登載(1月)
ユネスコの第31回世界遺産委員会で、富士山が推薦予定候補となる(6月)

ユネスコの第31回世界遺産委員会

2008年

地元が要望していた「富士山」ナンバーの交付が始まる(11月)

「富士山」ナンバーの交付

2009年 

構成資産候補の見直しなどにより、当初予定していた11年度の登録実現を断念(1月)

2010年

富士五湖の文化財指定作業が難航し、推薦書原案提出時期を1年先送り(7月)
富士吉田市や東京大が環境保全協力金導入の賛否などを聞くアンケートを実施(7月)

アンケートを実施

2011年

山梨県が富士五湖を名勝に指定するよう文化庁に意見具申(2月)
文化審議会が文科相に対し、富士五湖を名勝に指定するよう答申(5月)
富士山麓の北富士、東富士両演習場を保全管理区域とすることに地元が同意(6月)
山梨、静岡両県が富士山の価値を証明する推薦書原案を文化庁に提出(7月)

富士山の価値を証明する推薦書原案を文化庁に提出

日本政府が富士山を世界文化遺産に推薦することを決定し、ユネスコに推薦書暫定版を提出(9月)

2012年

日本政府がユネスコに正式な推薦書を提出。国内の手続きが終わる(1月)
山梨県が2月23日を「富士山の日」に制定。富士山の豊かな自然、美しい景観、富士山に関する歴史、文化を後世に引き継ぐことを期する日とする(2月)
イコモスの専門家による現地調査が行われる(8~9月)
イコモスが日本政府に対し、追加情報の提出を要請。名称変更や構成資産「三保松原」の除外を求める(12月)

2013年

日本政府、名称を「富士山」から「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」に変更。「三保松原」の除外は応じず(2月)
イコモスが「登録」を勧告。「三保松原」は除外を求めた(4月)
第37回世界遺産委員会で富士山の世界文化遺産登録が決定。「三保松原」含む(6月22日)

 

(2013年6月23日付 山梨日日新聞掲載)
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