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2019.9.06 所属カテゴリ: ふじさんクエスト / 文化・芸術 /

草野心平と富士

 「ケルルン クック」というフレーズが印象的な詩「春のうた」をはじめ、カエルの詩で知られる詩人草野心平(1903~1988年)は、富士山に魅了され、富士山をテーマにした作品も数多く残した。

 草野は5人きょうだいの次男として福島県で生まれた。17歳で単身中国に渡り、広州市の嶺南大(現中山大)に入学。留学中に宮沢賢治や八木重吉らも参加した同人誌「銅鑼」を創刊するなど熱心に創作活動を行った。旺盛な詩作はその後も続き、1950年にはカエルの詩ばかりを集めた「第百階級」や「蛙」などの詩集が評価され、第1回読売文学賞(詩歌部門)を受賞した。

 草野は1940年、日中文化の橋渡し役を期待され中華民国国民政府宣伝部顧問として再度訪中。日本を離れたことで、富士山を「一つの美と存在の象徴」として捉えるようになる。富士山に日本の美を見いだした草野は、生涯を通じて詩や絵画、書などでさまざまに表現した。

 1966年6月には草野が作詩、画家の棟方志功が版画を手掛けた詩画集「富士山」を刊行。題名に「富士」が付く詩集は43年の「富士山」、77年の「富士の全体」も含め計3冊あり、他の詩集でも富士山は多く詠まれている。

 日本人にとって富士山はなじみのテーマだが、草野は「自分なりの表現で取り上げてみたかった」と、古典作品とは一線を画した力強く壮大なスケールで創作。また草野の作風は「対象と一体化する」のが特徴だが、富士山に対しても自ら近づき、入り込もうとする姿勢が作品から読み取れる。

 一方、草野は書や絵画でも富士山を表現した。自作の富士山の詩6編を墨書した折帖「富士山六題」は、大胆な筆致が見応えがある。

 絵画では中学時代に美術部に所属し、周囲からは「詩人よりも画家になる」と思われていたほど。個性的な色使いで、赤富士や黒富士などを描き、気象条件を捉えた表現が評価されている。

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