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2021.12.16 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 12月 /

富士山歴史の道 山小屋も復活計画に

整備検討会を設置 所有者との折衝に全力

 富士山吉田口登山道の5合目以下を、歴史の道として復活させる計画を進めている富士吉田市は、登山道沿いに残っている山小屋も復活計画に組み入れるため、このほど吉田口登山道山小屋整備検討会を設置した。一部を除いて廃墟となっている山小屋を、なんらかの方法で復活させようというもので、10日に所有者と初会合を開いた。

 同市の調べによると、5合目以下の登山道沿いには、下から中の茶屋、大石茶屋、桂屋旅館、なべ屋、大文司屋、富士山禊所(馬返し)大日神社(1合目)レッキス(1.5五合目)御室浅間神社(2合目)金剛杖(2.5合目)みはらし茶屋、はちみつ屋(3合目)大黒屋(4合目)御座石小屋、五合目館、五合目桂屋、早川館、天地の境、たばこ屋、不動小屋、稲祠、富士の家(5合目)の22の建物があった。

 これらの山小屋は、昭和39年の県営富士山有料道路の開通で大きな打撃を受けた。下から歩いて登る登山から、5合目まで車で入って登る形態に変化したためで、数年後にはほとんどの山小屋が営業できなくなり、小屋を閉めた。その後、20年近くたって小屋は倒壊が目立っている。

 22の建物のうち、現在も使用中か使用可能なものは、中の茶屋はじめ8軒だけ。残りは一部倒壊5、建物なし5、廃屋4となっている。お客が来ず、管理人も住まないのがほとんどで、登山道衰退の象徴となってきた。

 検討会の目的は、これらの山小屋をできれば再建し、歴史の道の目玉にしようというもの。吉田口登山道は富士講者にとっては「富士みち」と呼ばれ、富士山信仰の歴史を秘めている。歴史の道としての復活を目指す同市は、これまでに登山道整備、沿道石造物群の修復、千本桜の復活植樹などに力を入れてきた。

 小屋の復活は経営問題、土地の賃借関係などで難問も多い。しかし明治大学とタイアップして大学の山荘として営業を続けている大文司屋(馬返し)の例もある。同市は「観光志向が歴史や自然に親しむ方向に変わってきた。吉田口登山道はこうした志向にピッタリだ。61年かいじ国体を機会に、小屋の復活の方法を探ってみたい」と話している。 【当時の紙面から】

(1982年12月16日付 山梨日日新聞掲載)
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