2023.12.22

交通手段、観光開発…写真やパネルで 昭和の富士、変容する姿 

昭和の富士山を振り返る企画展=富士吉田・ふじさんミュージアム

 富士吉田市のふじさんミュージアムは来年1月29日まで、企画展「昭和の富士山-変わる登山、変わらぬ御山」を開いている。昭和時代の富士山を巡る開発の歴史や登山形態の変容などを写真、パンフレットなどを通して掘り下げている。開発やごみ問題といった現代に通じる課題にも触れていて、担当者は「今後のあるべき富士山の姿を考えるきっかけになれば」と話している。

 ミュージアムによると、江戸時代に徒歩だった富士山登山口への道のりは、馬車鉄道や電車の開通、乗合自動車の運行によって大きく様変わりした。企画展では当時の資料87点を展示。昭和初期の電車や乗合自動車の時刻表、乗車券の実物や写真を紹介している。
 1933年、甲府方面と富士北麓をつなぐ現在の国道137号が開通。富士山麓周辺にホテルやゴルフ場の開発が進み、パンフレットではその変化が見て取れる。時代ごとに並ぶ観光案内図では、道路や鉄道網、観光施設などが加わっていく様子が分かる。
 35年には富士山麓から山頂までトンネルを掘り、ケーブルカーを走行させる計画が浮上。その後も山頂へと向かう移動手段を整備する計画は浮上したが、文化財保護の観点から立ち消えになっていった。そうした経緯も県の発行誌などを通じて触れている。
 64年には富士スバルラインが開通。登山者の増加に伴い、ごみの放置が社会問題化した。当時の新聞記事や写真などを展示し、環境保護に関する動きも紹介している。衰退した麓からの登山道を「時代の推移として諦めてしまうにはあまりにも惜しい文化遺産」と表現した、写真家飯島志津夫さんの作品集もある。

(2023年12月20日付 山梨日日新聞掲載)

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