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パネルディスカッション

パネリスト

市川團十郎さん  歌舞伎役者
稲葉信子さん   東京文化財研究所文化遺産国際協力センター国際企画情報研究室長
イルカさん    シンガー・ソングライター
三浦雄一郎さん  プロスキーヤー

コーディネーター

小田 全宏さん

パネリストら

「日本の宝を、世界の宝に」をテーマに、意見を交わすパネリストら

-自分の専門分野から見た富士山について。

 稲葉信子 アフガニスタンやネパール、インドなど、いろいろな場所で世界遺産の保存に何が必要かを考える仕事をしているが、世界遺産委員会はあるときから、文化遺産と自然遺産の違いが何かを考えるようになった。例えば人間が自然を見て恐れ、信仰が生まれるということが世界の文化の中にはあると思う。日本の中でそれが何だろうと考えた時、富士山であると思う。

 市川團十郎 歌舞伎の中でも曽我兄弟のあだ討ちの物語では必ず富士が出てくる。市川家歌舞伎十八番の1つ「助六」でも「富士と筑波をかざし草」という文句がある。当時江戸からは東に筑波、西に富士がはっきりと見え、その間にいるんだぞ、という誇りを持った文句だろう。富士山は日本人の誇りであるということを歌舞伎もよく伝えていると思うので、ぜひ世界遺産になってほしいと思っている。

 イルカ 息子が小さいころ、どうしても自然が豊かなところで育てたくて、富士山のふもとに小さいアトリエを建てた。その家に行くとよく森を散歩する。5年くらい前、道を歩いていた時に「こころね」という言葉が聞こえた。耳で聞こえたのではないけれど響いてきた。周りを見ても虫がいるわけでも何でもない。その後「こころね」という絵を描き、それを見ているうちに「こころね」という歌ができた。この言葉を大切にしないさいと言われた気がして「イルカ こころねアコースティックコンサート」というのも続けている。

 三浦雄一郎 富士山に登ろうと思ったことは30歳近くまでなかった。1961年に米国にスキーに行った時、「フジヤマで練習しているんだろう」と言われ、急に宿題を忘れた小学生のような気分になった。それが富士山とかかわるきっかけになった。頂上にある測候所のがけから噴火口めがけてスキーで飛び降りたこともある。頂上から滑った時も地球を丸ごと滑っているようで「世の中にこんなにすごいスキーの山があったのか」という思いだった。それ以来、富士山のとりこになった。

市川さん 誇りにする努力必要
稲葉さん 自然との対話が大事

-富士山にまつわる思い出や登山の経験は。

 稲葉 途中まで行ったことがあるが、山頂まで登ったことがまだない。富士山を考える国際会議があって登る機会はあったのだが、天候が悪くて登れなかった。今年中には必ず登りたいと思う。
 世界中のいろいろな文化を見ていくと、宗教に発展する前、人間は自然信仰から始まっている。今あらためて原点に立ち戻り自然と対話してみるということが大事だと思う。(富士山という)信仰の山を世界遺産にしていくことは、世界へのメッセージになる。信仰、仏教を育ててきた文化であるという自負は持っていいのではないか。

 市川 30代初めのころに富士山に登った。5合目から出発して、8合目ぐらいで一晩明かした。翌朝暗いうちに出て頂上を目指し、日が昇るのを見る行程を踏んだ。下りの須走はあっという間だった。でも次の日は足がガクガクだった。
 (当時の)トイレは床に穴があいているだけ。風が強いと吹き上がってくるので驚いた思い出がある。この後トイレからトイレットペーパーが流れ出ていて大問題になった。ここ10年で山梨県と静岡県がバイオトイレを整備したので、今は吹き上がってくることもないと思う。

 イルカ 高校の時、「どんなにきれいな山なのだろう」と思って富士山に登ったら、馬ふんがたくさん、ごみもたくさんで「富士山は遠くから見ていた方がいいものなのかな」と思ったことがある。
 富士山を世界遺産に登録しようとしてだめだったというニュースを過去に聞いた。残念なこととして伝えられているが今はとても良かったと思っている。それは「昔の人が持っていたモラルを思い出しなさい」ということを、富士山が自分の汚された姿をさらして私たちに教えてくれたから。富士山の親心ではないかとも思う。

 三浦 雪の富士山は素晴らしいし、きれいだが、夏にマウンテンサミットで集まった世界の登山家全員が富士山に登りたいと言い出した時、「これはまずいな」と思った。何回も夏の富士山に登っているが、ごみの問題、寝る場所の問題も含めて、そう思った。やはり、そのとき彼らから「こんなきれいな山に、どうして日本人はごみを捨てるのか」と言われ、とても恥ずかしい思いをした。
 江戸時代の富士講では、登る人たちは便器を持っていき、絶対に(自分の便を)持ち帰ったそうだ。富士山は神聖である。神さまを汚してはいけない。江戸時代の日本人はそういう意味では、われわれよりも数段、素晴らしかった。そんなことをあらためて感じた。

イルカさん モラル教えてくれた
三浦さん 子孫に残せる財産に

-富士山の世界文化遺産登録に向けたメッセージを。

 稲葉 バーミヤンで仕事をしていた時、砂漠ようなところを遊牧民の親子が歩いていた。それを見て世界遺産はこういう人たちのためにもあるんだと感じた。世界遺産が人間と自然との共生、自然と生きた人間の文化であることを考えると、富士山が世界遺産になるということは、こういう遊牧民の親子にとっても1つの世界を知る教科書になると思う。そのことを皆さんに理解していただきたい。

熱心に耳を傾ける参加者

これまでの体験やユーモアを交えたパネリストの発言に、熱心に耳を傾ける参加者=いずれも東京・日本青年館

 市川 今の日本は、自分の「誇り」に対して自信がないのかな、とも感じたりする。ぜひ富士山を日本人の「誇り」としたいと思う。しかし「誇り」にするためには努力が絶対に必要だ。ごみなど大きな問題があると思うが、自信を持って富士山は「日本の象徴だ」と言いたいし、そうなるようにしなければならないと痛切に感じる。

 イルカ 富士山が豊かに美しくなるということは、そこからわき出た水も美しくなり、海もきれいになり、地球がきれいで美しい姿を取り戻していくことになるのではないかと思う。だから私たちの大切な心の古里でもある富士山が、もっともっと本来の姿を取り戻してもらえるように、私も何かできたらいいなと考えている。

 三浦 この10年来、本当に富士山はきれいになっている。ごみも10年前なら山頂に行って大きなビニール袋いっぱいになったが、このごろはほとんどない。だからやればできるんだと思う。日本人の心でもある富士山がきれいな姿を取り戻し、素晴らしい姿で世界遺産になれば、私たちが子孫に残せるとても大事な財産になると思う。

市川 團十郎(いちかわ・だんじゅうろう)さん 1985年、歌舞伎座の3カ月間にわたる襲名披露公演で12代目市川團十郎を襲名。86年に日本俳優協会理事に、2001年に文化審議会委員に就任。芸術祭最優秀賞、第19回真山青果賞大賞など数多くを受賞している。

稲葉 信子(いなば・のぶこ)さん 工学博士。専門は文化遺産保全および建築史。1991-2002年に文化庁文化財調査官として主に建造物・町並み分野で文化財保護行政に携わった。富士山の世界遺産登録に向け設置された静岡県学術委員会の委員を務めている。

イルカさん 女子美術大在学中にフォークグループを結成、1974年にソロデビューし、75年に「なごり雪」が大ヒット。現在もコンサート活動を中心に全国ツアーを展開している。2004年7月、国際自然保護連合(IUCN)の初の親善大使に就任。

三浦 雄一郎(みうら・ゆういちろう)さん 1966年に富士山直滑降を成し遂げた。85年には世界7大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年、エベレストに登頂し当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)を樹立した。クラーク記念国際高校長。

 

 

(2007年2月22日付 山梨日日新聞掲載)
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