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2002.6.21 所属カテゴリ: ふじさんクエスト / 文化・芸術 /

山容の美しさから絵画や写真の被写体に

 山容の美しい富士山は古くから絵画の題材として取り上げられてきた。特に江戸時代後期になると富士山を描かない画家はいない、というほどポピュラーな存在となる。幕末の大家・葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、あまりにも有名。

 江戸時代末期になると、写真技術が国内にもたらされ、日本各地の風景や人物が撮影されるようになった。富士山を被写体とした写真も数多く残されている。

 北口から富士山を撮影した最古の写真は、英国の写真家フェリックス・ベアトが撮影した「吉里(田)一ノ鳥居」。ベアトは1863(文久3)年ごろに来日し、全国各地の風景や風俗を撮影した。写真は画面中央に金鳥居があり、その向こうにすそ野を左右に広げた富士が写されている。

 イギリス人公使のアーネスト・サトウが、1872(明治5)年に吉田を訪れた時の記録「日本旅行日記」の記述と合致することから、江戸時代末期から明治初期ごろに写したものとみられている。

 金鳥居は上吉田宿の入り口に建てられていて、古くは「唐金鳥居」ともよばれた。富士山の「一ノ鳥居」に位置づけられ、俗世間と富士山の聖域との境界を示している。北口では金鳥居から見える富士山が象徴的だったとみられ、こうした写真が多く見られる。

 ふじさんミュージアム(山梨県富士吉田市)では明治後期ごろの写真を所蔵している。やはり、金鳥居の向こうに見える富士が写っている。「都留馬車鉄道」が金鳥居の下を走っていることから、1900(明治33)年の敷設以降のものとみられている。「御宿泊」「鉄道馬車待合所」「諸国商人御休泊」の看板が掲げられ、右側戸口には顔をのぞかせる男性の姿もある。

 古写真は、移り変わる富士北麓、そして富士とともに生きてきた人々の姿を伝えている。
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