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2020.8.01 所属カテゴリ: ふじさんクエスト / 文化・芸術 /

銭湯の富士

 絵を題材に富士山と日本人のつながりを語るとき、銭湯の壁画は外せない。日本一の山を眺められない場所に暮らす人たちは、絵を見て霊峰に思いをはせる。雄大な富士の裾野で湯につかっているようで、公共浴場の浴槽を一層広々と感じさせてくれる。

 風呂の歴史をひもとくと、寺院で修行前に身を清めるために行った「施浴」にルーツがあるという。

 全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会によると、奈良時代に光明皇后が寺院で施浴したのが初めてと言われる。平安時代ごろには庶民にも施浴が広まり、銭湯のはしりとされる「町湯」が登場した。当時の風呂はいわゆる「蒸し風呂」だったが、17世紀初頭には湯に体全体が漬かる風呂も広まった。

 銭湯の背景画は、1912(大正元)年、東京・神田の「キカイ湯」が初めてと言われる。キカイ湯の壁に絵師がペンキで描いたのは富士山で、その後、ペンキ絵は東京など関東一帯に広がった。

 銭湯の「定番」とされる富士山の壁画だが、そうした文化は東日本が中心で、西日本には背景画がない銭湯が多い。

 内風呂が普及する高度経済成長期前までは、銭湯は多くの庶民が集まった。公共空間に集まる人を目当てに、壁面には広告が並んだ。富士山のペンキ絵は当時、銭湯広告の代理店がサービスとして描いていたという。

 ちなみに山梨県内の銭湯のうち、中央市若宮の日帰り温泉「湯殿館」の浴室壁面には、銭湯絵師・中島盛夫さんが描いた巨大な富士山がある。男湯と女湯それぞれに縦2メートル、横5.5メートルのパネルに、山梨県側から見る富士山をイメージして描いたという。

銭湯の富士 男湯に山中湖から見た富士山と桜=写真右上、女湯には河口湖の逆さ富士とラベンダー=同右。笛吹市石和町市部の「銭湯 石和温泉」の浴場の壁には、銭湯の定番とも言える霊峰が描かれている。

 絵はいずれも縦3.6メートル、横4.3メートル。銭湯を営む樋泉一位さん(85)が依頼し、看板や銭湯の壁画を手掛けた甲府市の職人・故佐藤林作さんが2005年に描いた。以前は海と岬が描かれていたが、「山梨のシンボルにしたい」(樋泉さん)と富士山画にリニューアル。手描きの背景画がある銭湯は全国的に減りつつあるといい、富士山を描いた浴場は県内でも数少ない。

 銭湯は1950年ごろオープン。61年1月にブドウ畑から高温の温泉が湧き出たことに始まる石和温泉郷よりも歴史が古く、開業時から「石和温泉」の名前だった。

 近くに住む常連だけでなく、昔ながらの銭湯を楽しみたいと県外から訪れる客も多い。

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