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2022.6.23 所属カテゴリ: ふじさんクエスト / 文化・芸術 /

李良枝と富士

 芥川賞作家の李良枝(イ・ヤンジ:1955-1992年)さんは山梨県西桂町に生まれ、富士吉田市で17歳まで過ごし、富士山を間近に見て育った。在日韓国人2世(李さんが9歳の時に両親が帰化)に生まれ、日本と韓国の間で揺れ動いていた李さんにとって、富士山は、自らに流れる日本的なものの象徴として映っていたようだ。

 初期の作品「ナビ・タリョン」には、離婚を考える父親が車の中で、中学生の主人公に、母親の悪口を言う場面で富士山が出てくる。「固定されたハンドルを横から思い切り動かせば、富士山も消え、父の話も消え、私も消えることができるだろうか」と書いている。眼前の富士は、子供時代の暗い思い出の象徴として描かれている。

 芥川賞受賞直後には、長年拒絶してきた富士山を見に、久しぶりに帰郷した様子を、「富士山」と題するエッセーにつづった。その中で富士山について「すべてが美しかった。それだけでなく、山脈を見て、美しいと感じ、呟いている自分も、やはり素直で平静だった」と書いている。富士山を受け入れられるようになった李さんの変化と成長。しかし作家として大成が期待されながら、受賞からわずか3年後に急逝した。

 富士吉田市は2016年、李さんの文学碑を同市新倉山浅間公園に建立、除幕式を行った。李さんの吉田高時代の同級生らが「功績を知ってもらいたい」と実行委をつくり建立した。

 白鳳石の文学碑は高さ約1.7メートル(台座含む)、幅約1.3メートル。李さんが芥川賞を受賞した際のスピーチの一部を刻み、裏に建てた別の石碑には李さんのエッセー「富士山」の一節を彫った。

 2022年5月、没後30年に合わせて初のエッセー集「ことばの杖」(新泉社)が刊行された。巻頭に「ウリナラ(母国)」を思う詩「木蓮に寄せて」を掲げ、作家大庭みな子さん(2007年死去)との対談、中学時代の作文「私」、妹の李栄さんが家族をつづった「姉・李良枝のこと」なども収録。

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