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進む調査研究


未知の姿、次々あらわ

 地中から掘り起こされた痕跡は、被害想定を上回る規模の火砕流が過去に山麓を襲った事実を示していた。

 山梨県富士山科学研究所が2016年7月~18年12月、富士吉田市と山中湖村の3カ所で実施した掘削調査。7世紀前半ごろに続いたと考えられる噴火について、調査を基に火砕流による堆積物の体積を推定で約1240万立方メートルとはじき出した。火山防災マップで想定した富士山北東側の噴出規模(242万立方メートル)の約5倍に上った。

多角化した視点

 前身に当たる県環境科学研究所が1997年に開所して以降、県富士山科学研究所では火山研究の人材確保が進んだ。溶岩流が中心の非爆発的噴火、大量の火山灰を伴う爆発的噴火など、多様な噴火現象を起こす富士山に対して、研究の視点は多角化した。掘削調査に携わった研究所の主任研究員、吉本充宏さん(48)は「一つ一つの噴火を正確に検証することで、富士山の特性が明らかになっていく」と言う。

 【写真】富士山噴火の火口について説明する山梨県富士山科学研究所の吉本充宏主任研究員(右から2人目)。研究が進み、未知の噴火が明らかになっている=富士山4合目

 溶岩が冷えて固まった岩石に含まれる磁気を帯びた鉄鋼の成分を調べる研究では、富士山北東側で6世紀後半から7世紀ごろにかけて、未知の噴火が計4回起きていたとする結果を発表。秋田大などは本栖湖の湖底を調べた結果、富士山西側で約2500年前に従来知られていなかった噴火が2回起きていた、と明らかにした。

 吉本さんは「調査技術の進歩も研究の進展に大きく寄与した」と話す。国土交通省は2002~08年度に上空からレーザーを照射して富士山麓の地形を測量。森林に覆われていて、従来の調査技術では把握できていなかった詳細な地形を浮かび上がらせた。

 レーザー測量の結果、道の駅富士吉田の約2キロ南西にある北富士演習場内で、火口の可能性が指摘されていたものの、噴火の年代が不明だった「雁ノ穴」に割れ目を発見。16年に吉本さんら研究所のチームが掘削調査を行うと、垂直にせり立った状態で厚さ約1メートルの板状の溶岩が2カ所で見つかり、約1500年前に溶岩が噴出した火口であることが、裏付けられた。

見直し迫られる

 雁ノ穴は04年に作成されたハザードマップ(災害予測地図)で想定した火口の範囲外にあり、富士吉田市街地に近い。噴火対策の根幹となるマップは見直しを迫られ、国や山梨、静岡、神奈川の3県などでつくる協議会は昨年8月、ハザードマップの改定作業に着手した。吉本さんは「04年の段階では富士山噴火の一部しか分かっていない状況だった。さまざまな調査が進み、想定火口範囲を改定する必要が出てきた」と指摘する。

 研究の積み重ねで、未知の噴火や噴火の規模など解明が進む富士山。だが、吉本さんは「富士山噴火にはまだ分からないことが多い」とも言う。さらに研究を深め、新たな知見を減災の取り組みにつなげていく必要性を強調している。


 【「守る命」富士山噴火に備える】
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