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2002.9.02 所属カテゴリ: ふじさんクエスト / 文化・芸術 /

谷崎潤一郎と奥河口湖

 「何処か日本の国でない遠い所へ来たような気がしたが、それは眼に訴える山の形や水の色が変っているからと云うよりは、むしろ触覚に訴える空気の肌ざわりのせいであった。彼女は清冽な湖水の底にでも居るように感じ、炭酸水を喫するような心持であたりの空気を胸一杯吸った」

 河口湖畔に建つ文学碑に刻まれた、文豪谷崎(1886―1965年)の長編小説「細雪」の一節である。「山の形」「水の色」は富士山であり、河口湖と想像するに難くない。小説には富士河口湖町勝山の富士ビューホテルが登場する。谷崎が同ホテルを訪れたのは1942年9月末。木造だったホテルの周辺には建物らしい建物はなく緑の中にぽつんと建つリゾートホテルだった。谷崎の泊まった2階の洋間からは富士、河口湖が望めた。谷崎は松子夫人とホテルの庭や湖畔沿いをよく散歩したという。

 松子夫人は『湘竹居追想―潤一郎と「細雪」の世界』で「敗戦後、私たちは熱海からこの地を忘れ難く訪ねた日もある」と記している。谷崎の脳裏には奥河口湖で夫人と過ごした静かな時間と美しい自然が深く記憶されていたのかもしれない。
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