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馬返し⇒3合目

[標高差約390メートル/距離約2キロ/所要時間約50分]

 馬返しは、距離的に金鳥居-富士山頂間のほぼ中間にあり、標高1450メートル。昔この先は聖域とされ、乗っていた馬を返し1合目から順次9合目を経て山頂に達した。また山小屋や石碑、石標などがあり、登山期間中は非常ににぎわった。富士山有料道路開通後は荒廃していたが、現在は整備され、ここまで車で来ることもできる。

 この先5合目までの登山道には、「歴史の道整備活用推進事業」として、登山道に残る歴史的遺産についての説明版と合目ごとの標識や道標が設置されている。車止めの柵の近くには、馬返しバスの停留所と仮設トイレがある。

 柵を越えて進むと、山小屋「大文司屋(明大山荘)」があり、夏山シーズン中に富士吉田市などが休憩所「お休み処(どころ)」を開設。市民ボランティアなどが給水や麦茶のサービス、観光パンフレットの配布などを行う。また、避難小屋としての機能もある。

 小さな石碑が立ち並ぶ道の先には両脇に神猿像が建つ石鳥居がある。2011年3月に起きた静岡県側の富士山周辺を震源とする地震などの影響で、富士山吉田口登山道の1合目手前の「馬返し」から3合目までの間で、江戸時代の石像物が複数倒壊、馬返しの先の石鳥居にもひびが入った。2012年6月下旬までに、石造物や鳥居については修復、補強作業が完了した。

 石鳥居の先には富士山禊所跡を示す石柱が建っている。ここではかつて富士講信者が登山時にお祓いを受け、身を清めてから山頂を目指したとされる場所だ。この先からはいよいよこう配も急になり、本格的な登山が始まる。登山道は整備が進み、石畳や木を組んだ階段、浸透升などが所々見られる。歩みを進めると幅も徐々に狭くなるにつれ、森は一層深まり、左右から伸びて頭上を覆う木々の枝は緑のアーチをつくって登山客を招く。

 馬返しから約500メートル登ったところに、1合目の鈴原天照大神社がある。創建は1530(享禄3)年より古いといわれているが、現在の神社は明治期以降に建てられたと見られている。2合目には富士山中に最初に勧請したといわれる御室浅間神社(拝殿)がある。かつて富士修験の信仰拠点となった場所だ。現在は河口湖畔の富士河口湖町勝山に本宮本殿が移築され、拝殿の後ろに小さなほこらが再建されている。

 雪解け水が流れる沢に架かる御室浅間橋を渡るとやがて細尾野林道との合流点に出る。林道脇には女人天上(富士山遙拝所)の説明板が立ち、江戸時代まで女性の登山は2合目の御室浅間神社までに限られていたのを、女人信者を内密に遙拝所まで登らせ参拝させたという。なお女人天上は林道を東南1キロほど行ったところにある。

 細尾野林道から再び登山道に入り10分ほど登ると3合目の三軒茶屋跡に着く。かつて登拝者は早朝に御師の家を出発すると、ちょうどここで昼食をとることが多かったので「中食堂(ちゅうじきどう)」ともいわれている。今でも茶屋の建物が2軒残っているが、1棟は倒壊しかけ、周囲には近づかないようロープが張られている。「富士山土産 はちみつとはまなし」と書かれた看板が転がり、にぎわっていた当時を想像させる。木々の間からは御坂の山並みをのぞくことができ、ここで休憩する人も多く、天気の良い日には木漏れ日に緑の葉がきらきら輝き、雨の日は静けさが増し、神秘的な雰囲気に包まれる。この近くにも6月から10月までの間、仮設トイレが設置される。
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