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富士山世界文化遺産・構成資産『須山口登山道』

 静岡県御殿場市。裾野市の須山浅間神社から富士山頂南東部に至る登山道だが、構成資産の範囲となっているのは二号八勺(標高2050メートル)以上と、それより下で遊歩道が整備された一部区間で、現御殿場口登山道と重なる。

 起源は明確に分かっていない。ただ室町時代の紀行文「廻国雑記」で、1486(文明18)年には既に開設されていたことが確認できる。富士講が盛んになった江戸時代にも多くの信仰者がこの道を登ったとされる。宝永噴火(1707年)で甚大な被害を受けたが、1780年には一部ルートを変更して修復。20年後の1800年には約5400人が登ったという記録もある。

 大きな転機となったのは1883(明治16)年だった。御殿場方面から二号八勺地点に接続する形で御殿場口登山道が開設。89年の東海道線開通で利便性が高まった御殿場口に徐々に登山者を奪われるようになった。

 さらに1912年には一部区間が陸軍演習場に含まれて使用不可能となり、一気に衰退した。御殿場口登山道が接続する二号八勺より下で当時の登山道を確認できるのは一部に過ぎなくなっている。
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