「奉納鯉の碑」とモニュメント・記念碑
山梨県山中湖村にある『奉納鯉の碑』。同碑については、かつて郷土史研究家の間でもほとんど知られていなかったが、南都留連合教育会が1938年に発刊した「南都留郷土史」に、その存在が記載されていたことが1981年に判明。調査したところ同年12月、山中湖村山中の浅間神社で発見された。
奉納鯉の碑は同神社の参道脇に横倒しになって埋まっていて、半分ほどが地表に出ていた。地中の部分は黒ずみ、地表に出ていた部分にはコケが生えていたという。碑は高さ87センチ、幅21センチの直方体で、秩父山系の御影石とみられる。前面には「奉納鯉」、側面一方に「中雁丸由太夫」、他面には不明の4字、背面には「享和元年」と刻まれていた。
南都留郷土史によると、中雁丸由太夫は富士吉田市の御師で、現在の埼玉県寄居町を中心とする富士講の宿を経営。1801(享和元)年3月に、富士講の一派「丸正講」の行者が八海巡りという修行で山中湖を訪れた際、捕えられた生き物を解放する「放生会」というしきたりによってコイを放流した記念に建てられたたもの、と説明している。
この碑は、富士五湖に魚を放流した記録としては最古のもので、富士講の研究上、山中湖が富士山信仰に重要な役割を果たしていたことを知る貴重な資料とされる。同村は2000年2月、碑を村史跡文化財に指定した。
この奉納鯉の碑を広く知ってもらおうと2000年11月、同村山中区が湖畔に移設された碑の横に、2匹のコイをあしらったモニュメントと碑についての説明文を刻んだ記念碑を設置、除幕式を行った。
設置されたモニュメントと記念碑はともに御影石製。モニュメントは縦約1.5メートル、横約5メートルで、2匹のコイが湖面を躍る姿を表現している。記念碑は縦1.1メートル、横1.3メートル、厚さ9センチ。奉納鯉の碑についての説明や富士講の歴史が彫り込まれている。