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2018.7.17 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 7月 /

繁昌すぎて悲鳴 鉄道にみる山景気

 国を挙げての体位向上の花形、夏山登山は、わけても霊峰富士登山客の数において、15、16日の土曜日曜の殺到ぶりは文字通り王座を築いた。新宿から発した各列車は満員すし詰めの上に、さらに乗れずに取り残された客が毎列車300人平均あった。

 15日初めて運転した高嶺号の臨時列車だけでも第1回1530名、第2回1550名、第3回1350名で、定員400名を突破すること4倍だ。15日午後から16日朝までに大月駅下車の登山客は2万6799名という大量となり、富士山麓電車の5両運転では到底呑みきれず、デッキ、便所といわず通路、洗面所、機関車の横腹までぎっしり乗り込んで、震災当時そのままの騒ぎを演じた。甲府運輸事務局では最大能力を出し切って普通電車にも最大9両増結という、破天荒な輸送方法を講じ、同じく初日の新宿発松本行きアルプス列車も850名の乗客中650名は富士登山客というので、通過駅であった大月駅に、臨時停車手配して下車させるなど便法も行ったが、土曜日曜と東京方面の盂蘭盆会の帰省客、第3日曜の動力休みで軍需職工の休暇、それに好天気という諸条件がカチ合ったこの2日間だった。

 長年旅客輸送に当っているが、今迄こんな数字を見たことがない。昨年より4倍にはね上った、と甲府運輸事務所旅客係もさすがに悲鳴をあげたが、管内入込み総人員は5万を超えた。【当時の紙面から】

(1939年7月17日付 山梨日日新聞掲載)
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