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2018.6.02 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 6月 /

色とりどりに「吉田音頭」も にぎやかな清掃奉告祭 富士山をきれいにする運動

 富士山をきれいにする運動は、きのう1日幕あけしたが、同日午後2時から富士吉田市上吉田の冨士山北口浅間神社で関係者約200人が集まってにぎやかに清掃奉告祭を行なった。神前には「富士山をきれいにしましょう」の黄色のタスキをかけた野口会長、天野知事、新生活運動協会本部常任理事土岐章氏をはじめ堀内富士吉田市長、小林河口湖町長、北富士駐とん部隊高橋三佐、百瀬県岳連会長、輿石県観光課長、杉田富士急行吉田管理部長、菊田地元自治会代表など各界代表と富士吉田市連合婦人会、市民合唱団、吉田詩吟会、学童など200人が参加して式にはいった。

 おはらいにつづいて野口会長から「日本の象徴である富士山の清掃をはじめました。目的達成のため国民運動にまで盛り上がる決意です」と誓いのことばを述べ、玉ぐしをささげたあと、天野知事や土岐常任理事、野口会長ら関係者8人が熊手で手はじめに境内を清掃した。さらに「あきカンや紙クズを捨てないようにしましょう」など3章を全員がとなえ、続いて天野知事や関係者の激励のあいさつがあった。

 式に続いて大庭三郎氏の指揮で富士吉田市民合唱団員60人が「富士山」を合唱、また富士吉田詩吟会長角田平行さんら女性をまじえた9人が石川条山作の詩を力強く朗詠、下吉田第一小学校児童60人による「私たちの富士山」の合唱があり、参列者たちから拍手を受けた。最後に富士吉田連合婦人会の会員100人がそろいのゆかた姿で吉田音頭の踊を披露し、天野知事の音頭で万歳を三唱、花火を打ち上げて3時半すぎ式を閉じた。【当時の紙面から】

(1962年6月2日付 山梨日日新聞掲載)
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