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2019.4.14 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 4月 /

やぶさめ84年ぶり復活 

勝山・富士御室浅間神社 春の大祭で披露へ

 勝山村の富士御室浅間神社に伝わる流鏑馬(やぶさめ)神事が明治30年以来、84年ぶりに今春復活する。氏子、村役場が一体となって郷土の伝統を守ろうと再現させるもので、25日の同神社春の例大祭に古式ゆかしく披露される。

 復活の話は数年前から出ていたが、氏子総代主任らが中心となって氏子の総意をまとめた。村でも流石喜久巳村長らが積極的に乗り出し、本年度当初予算に100万円を計上した。村民も流鏑馬復活に大喜びで、神社境内の馬場を整備している。

 同神社の流鏑馬神事は歴史が古く、後三年の役(1083年)に始まる。戦に出兵した新羅三郎義光(甲斐源氏の祖)が、集兵に祖父の甲斐守頼信を頼って甲州入りし、岳ろくの農民、山伏、案内人など5000人の兵と、東八代郡御坂町付近で甲斐黒駒の駿馬(しゅんめ)200頭を集めて出兵し、武勲をたてた。がいせんした場所が現在の富士山二合目のりゅうケ馬場付近で、当時、浅間神社はこの地にあった。ここで戦勝祝いを9月9日から19日まで11日間行い、流鏑馬神事を行ったのが起源。この期間を現在では秋の例大祭にしている。

 源義光以来、戦勝の由来から同神社は現在の河口湖畔に遷座した後も、厚いひ護を受け延々と続く。岳ろく一帯の諸村は同神社のさん下に入ったといわれる。1500年代末期に各地区で流鏑馬が行われるが、伝統の地は勝山村で大原七郷(鳴沢、大嵐、長沢、大石、船津、小立、勝山)が中心に受け継ぎ、明治30年まで続いた。

 中止になった理由は、明治の行政改革や農地改革の波に洗われ、神主家の小佐野家がこの年に焼失したことから急速に衰え、以後80年余にわたって中断した。現在、着々と準備が進められ、馬の調達や衣装ぞろえをすすめており、馬術は神奈川県鎌倉市の日本古馬術保存協会の金子有鄭市が指導にあたり、乗馬経験のある村民が、練習に入っている。馬場は伝統の旧馬場(約100メートル)を使うか200メートルの幅広い参道を使う。

 11世紀に始まる伝統行事の復活がようやく日の目を見ることになり、同神社に〝戦国神事〟の勇姿が戻る。25日の祭りに寄せる村民の関心は高まっている。 【当時の紙面から】

(1980年4月14日付 山梨日日新聞掲載)
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