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2019.6.29 所属カテゴリ: 山日紙面で見る富士山 / 6月 /

長い間ごくろうさま 富士急行ディーゼル

新宿への足、和歌山へ

 富士急行線最後のディーゼルカー3両のうち1両が28日、駅員らに送られて〝新任地〟の和歌山県の有田鉄道線に向けて富士吉田駅を静かに旅立った。3両のディーゼルカーは東京・新宿から直通急行として、長い間活躍してきたが、ことしの3月に国鉄中央本線の急行全面電車化に伴い姿を消していた。

 このディーゼルカーはキハ58型気動車。富士急行が昭和36年12月、最新型の列車として2両を購入した。富士急行線と国鉄中央線の相互乗り入れが行われることになり、翌37年4月に初登場した。1年後にはもう1両が加わり、以来13年間もの長い間、富士五湖地方と副都心新宿を結ぶ直通急行として客を運んだ。

 全国各地の鉄道は電車化が進み、蒸気機関車はすでに姿を消しているが、ディーゼルカーも同じ運命をだどりつつある。国鉄中央線も、急行列車はことし3月で全面的に電車化された。このため富士急行のディーゼルカーが、中央本線の列車と連結ができなくなり、廃車となった。

 その後、富士急行はこれらのディーゼルカーの引き取り先を探していたが、ミカンの産地である和歌山県の有田鉄道が身受けすることで話がまとまった。この日、旅立った1両と残りの1両は、国鉄中央本線-東海道本線-関西本線-和歌山線-紀勢本線を通って有田鉄道線にいく。来月からは有田鉄道の花形列車として、第二の人生を歩むこととなった。 【当時の紙面から】

(1975年6月29日付 山梨日日新聞掲載)
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