水田開発へ心血 新倉の歴史紹介 富士吉田で企画展

江戸期以降に作成された新倉掘抜に関する絵図など=富士吉田・ふじさんミュージアム

新倉地区の遺跡から出土した縄文土器や土製の釣り道具
富士吉田市のふじさんミュージアムは、同市新倉地区の歴史を紹介する企画展「新倉の歴史-富士山遥拝と新田開発の町-」を開いている。学芸員によると、同地区は富士山の溶岩でできた台地に町を築いたが、川が少なく農業用水不足に悩んでいた。展示では、水源を求め水田開発に心血を注いだ地区の歴史を伝えている。
展示で紹介しているのは、現在の地番で浅間、新町、旭の3地区。新倉山浅間公園などがあり、現在では外国人観光客など多数の人が訪れるスポットとなっている。
地区は市内で最も遺跡が集中する地域で、縄文時代~平安時代の遺跡が12カ所ある。学芸員によると、約1万年前から人が住んでいた形跡があり、当時地区には堰止湖があったと推定され、水が豊富にあった。展示では、縄文土器のほか、釣りで使う土製の道具も並び、水とともに生きていた当時の生活がうかがえる。
だが、平安期ごろの剣丸尾溶岩により、水脈は地域を流れる入山川と湧水地程度に。生活用水は賄えても、大量の水を必要とする農業用水確保が課題となったという。
展示のメインは、江戸時代に地域住民主導で、失敗を繰り返しながらも作り上げた用水トンネル「新倉掘抜」に関する絵図だ。新倉掘抜は、河口湖を水源に約4キロの距離を地下トンネルとして通された。工事は難しく、1675年ごろの最初の構想から、1865年の完成まで、約190年で2度の失敗と頓挫があった。展示では、完成図や新倉掘抜によって開発された水田図が並んでいる。
2026年1月19日までで、午前9時半~午後5時(最終入館同4時半まで)。火曜と、12月28日~1月3日休館。一般400円、小中高生200円(市民は無料)。
(2025年12月24日付 山梨日日新聞掲載)

